彼は如何にして仮面を変えるか


彼の姉は養女だった。
いつまで経っても子供が出来ない老年の夫婦が、後継ぎのために引き取った。
施設にたまたま男がいなかっただとか、色々な理由で、パンダワの孤児はこの家に引き取られた。
そしてその直後、夫婦に子供が出来た。そうして生まれたのが自分だ。
老夫婦は二人の子供を愛した。パンダワの姉もゾバルの弟も、どちらも大切な子供だと言って。
しかし、跡継ぎの目的で引き取られた姉は、もはやこの家に居場所はなかった。
居場所がないと言う後ろめたさが、彼女を冒険に飛び立たせた。
まるで家出のように出ていく姉の背中を、いつまでも見送っていたのを覚えている。


ほどなくして、ゾバルの彼もまた冒険に出る。出て行った姉を探すために。
いくつもの場所を渡り歩き、幾人もの人を訪ね、そしてついに彼は姉の場所を突き止める。
アストゥルーブの一角。小さな宿屋。そこに何か月も滞在するパンダワがいるという。
服の色は藻のような緑。間違いない、姉だ。
パンダーラに生える笹の色と同じなのだと言っていたのは、彼がまだ小さかった頃の話。
ようやく見つけた姉。彼は嬉々としてその宿に走った。
急に現れたら驚くだろう。いったいどういう顔をするだろう。
そんなことを考えながら、彼は宿屋の2階へ。一番奥の部屋へ。
「シゼーリア姉ちゃん!!」
ばん、と勢いよく扉を開けた。そこで彼は硬直する。
「……姉ちゃん…?」
姉が、宙に浮いている。暗い部屋の中で、浮いている。
否、それは。ひとつの終焉の図だった。
蹴倒した足場の椅子。天井の梁から下がる紐。吊り下がる藻色の服。
「あ、あ……」


そう彼は過去を語る。その腰に据えられたパンダの仮面。
「ひっひっひ。姉ちゃんはここにいるじぇ」
破綻した人格で彼はそう笑う。愛おしそうにその仮面を撫でる。
あの出来事が原因か、それとも元々そうだったのか、彼は崩壊した人格を持つ。
引きつったような笑いで下種を自称したと思えば、急にやる気のない怠惰な態度を取る。
かと思えば年相応の少年のあどけない顔になる。
いくつも分裂した心は事あるごとに立ち替わる。まるで仮面のように。


ある日、彼はのんびりとブラクマールの道を歩いていた。
「姉ちゃん。今日はいい天気だじぇー」
腰の仮面にそう語りかけた。右の腰骨あたりに吊り下げているパンダの仮面からの返事は当然ない。
「っと」
仮面、否、彼にとっては姉だ。それに気を取られていた。
前から歩いてくるサクリエールの青年とぶつかった。
「いってぇな」
青錆色の髪の下の血色の瞳が彼を見据えた。
虫の居所が悪そうだ。不機嫌そうな瞳は怒りにたぎっている。
サクリエールの青年は無言で彼を殴りつけた。がしゃん、と彼は派手に吹っ飛んでいく。
「あ? んだよ、これ」
殴りつけた衝撃で弾き飛ばされたらしい。サクリエールの足元に転がるパンダの仮面。
それを拾い上げる。それを認めた瞬間、彼は跳ね起きた。
「姉ちゃんに触んじゃねぇよ!!」
転変万化する彼の唯一の逆鱗。それが姉だ。
返せとサクリエールにくってかかる。返してほしければ力ずくで取り返してみろとサクリエールが笑った。
「ヴェステル!」
拳が交わりかける。その時だった。少年の声が割り込んできた。
「こんなとこで何やってるのさ、もう」
エニリプサの少年はサクリエールの青年を宥める。水を差された青年は白けたように溜息を吐いた。
「っち。命拾いしたな」
拾ったパンダの仮面を投げ返した。そのまま振り返らずに少年を伴って繁華街へ向かう。
歩き去る背中を追わず、彼は手元に返ってきた仮面を抱き締めた。
「姉ちゃん……」
姉は日記を残していた。そこに書かれた内容。命を絶つに至った経緯。
お役御免だと言われたのだ。ようやく見つけた居場所から、不要だと告げられたのだ。
それは姉を絶望に至らしめるのに十分だった。そして彼女は。
復讐すると誓った。姉を間接的に殺した者に、同じことをしてやろうと。
かの者の名前は日記に記されていない。だが十分な手掛かりがある。
いずれ見つけ出してやる。爆発の矢を得意とするクラを。


そうして時は流れ、彼は一つのギルドに落ち着いた。


「そう言えば、あの子、最近見ないわね」
ある日女王様が呟いた。にゃー、と彼女の娘が首を傾げた。
「ほら、あの子よあの子」
爆発の矢の着弾点の別名を持つ、あのパンダワだ。
最近姿を見せない。最後に見たのは数か月前だ。
「あぁ。そういえば、そうだね」
右目を眼帯で覆った狩人が得心がいったように頷いた。
「誰の話だよ。オレにも解るように話せっつー」
彼が砕けた口調で女王様に問うた。
「言ったって解らないでしょう、シェヴィ」
嘆息しながら女王様はそのパンダワの名前を告げる。
シェヴィと呼ばれた彼は、言ってみなきゃ、と言う。もしかしたら心当たりがあるかもしれないから、と。
「ヴァルリーって言うの。…知らないでしょ?」


パンダの仮面の裏に刻まれた姉の名前は。


(Cicelia・Varly・Albertina)