「ヴァルリーっていうの。…知らないでしょう?」
見つけた、とシェヴィは心の中で呟いた。
姉の仇。姉を死に至らしめた憎い相手を。ようやく。
「よーく知ってるじぇ。ひっひっひっひ」
口端を釣り上げた。早くその手でくびり殺せと破綻した人格が笑う。
その一方で、復讐なんて面倒なものは捨て置けと怠惰な人格が笑う。
さてどうしようか。分裂した性格はいくつもの選択肢をシェヴィに提示する。
「あら。そうなの?」
彼女と知り合いだったなんて、変な縁ね。そうシャオリーが呟いた。
「どういう関係なの?」
「ひひっ。教えねーじぇ」
シャアラの問いにシェヴィは笑った。
復讐に転じるにはまだ早い。まだ牙を伏せておくことにした。
シェヴィの踊る舞台はまだ喜劇でいい。復讐の悲劇に立ち替わるにはまだ早い。
脚本の通りに。手の込んだ演出とともに。演者はしっかり台本に添わねばならない。
「なによ。意地悪なんだから」
「うぇひひひっ」
ひきつったような、奇妙な笑いでごまかした。
もはやこうなれば聞き出すことは無理だろうとシャアラは追究を諦めた。


ある日。シェヴィはキッチンに立っていた。他の者は全員出払っている。
今日の夕飯の当番は彼だ。男の料理なんて雑だじぇ、と思いながらシェヴィは鍋を掻き回した。
この料理に毒を入れれば憎い仇は全員死ぬだろう。苦しんで死ぬ様を想像しながら鼻歌を歌う。
しかしシェヴィはそれを実行しない。想像だけにとどめる。
まだ早い。舞台はまだ起承転結の承に差し掛かったところだ。
「あれ? シェヴィひとりー?」
ひょこりとシャロンがキッチンに顔を出した。
服の裾に血がついている。作業所で肉をさばいてきたところなのだろう。
「ひとりじゃねーじぇ」
即答しながら、さりげない動作で仮面を撫でた。
姉がここにいる。腰に据えたパンダの仮面。
「あぁ、多重人格だもんねぇー」
シェヴィの言葉にシャロンが納得した。
多重人格だからひとりではない、と、そういうものだと誤解して。
「んでぇ? 何の用だじぇ?」
心配しなくても料理はそこそこできる方だ。シャアラのように焦がしはしない。
何度か料理を振る舞っているから腕は知っているはずだ。
わざわざ調理中に覗き込みにくるようなことはないはずだ。
「んにゃぁー。シェヴィに言っておきたいことがあってね」
「言っておきたいこと?」
ギルドに入るにあたって、注意点はきちんと聞いたはずだ。
他に何かあっただろうか。心当たりがない。
「んーとねぇ………」
子供のように可愛らしく首を傾げる。何処から話したものか逡巡するふうだ。
にゃぅ、とシャロンが唸る。切り口を見つけるのを待ちながら、シェヴィが鍋の火を止めた。
あとは少し寝かせてから皿に盛るだけだ。夕飯まで間があるので、ゆっくり寝かせるとしよう。
「うにゃっ。やっぱりストレートに言おうっ」
「うん?」
なに、とシェヴィが促そうとした。その声は発せられずに声帯でとどまった。
素早くひらめくシャロンの手。シェヴィの首に据えられた冷たい感触。
剣。切っ先から鍔へ。剣身を視線で追えば、シャロンの手に繋がる。
「…何の真似だじぇ?」
「警告しとこうと思って」
子供のような無邪気な声を返して、冷徹な声でシャロンは言った。
シェヴィは笑いながら仮面を入れ替え表情を変える。しかし、眼だけは常に冷たいものをたたえていた。
その瞳の底に眠るものを、シャロンはしっかりと感知していた。
元々そういうものへの勘はいい。そうでなければ彼女の守りたいものは守れない。
「…勘のいいガキは嫌いだじぇ」
ばれたのか。シェヴィは肩を竦めた。
聡い娘だ。やりにくい。今ここで始末してしまおうか。
そうしてしまおう。彼女の死によって舞台は復讐劇に転じる。
決めたシェヴィは姉の生まれ故郷で作られたダガーを握った。
「今日の夕飯は猫の丸焼きだなぁっひゃっはぁ!!」
狂喜しながらダガーを振り上げた。首筋の剣はプラストロンの障壁が遮る。
盾が破られる前に突き刺せば終わりだ。そしてそうできるとシェヴィは確信していた。
「いひゃひゃひゃひゃひゃ死んじまえよぉぉおお!!」
シャロンの眉間にダガーを突き立てる直前。
ぱきん、と腕が凍結した。ダガーも丸ごと氷の中に閉じ込められる。
「……面白そうなことしてるじゃないか」
氷結の矢をシェヴィに放ち割り込んで、シャスールは口端を持ち上げた。
いつもの温厚な表面はなりを潜め、そこにいるのは残虐な狩人。
「ぱぱ」
「貸し一つだよ」
娘にそう微笑めば、シャロンの顔が悔しそうに歪んだ。
その顔に嗜虐心を少し満たして、さて、とシャスールはシェヴィに向き直る。
「なんでわかったか、って顔をしてるな。俺と同類だと思ったからさ」
笑顔の下に暗いものを潜ませて。何でもないと言う顔をして。
その奥底でろくでもないものを抱えている。解き放つ時をじっと待ちながら。
「他のものはどうなってもいいさ。でもな、俺のシャオリーに手を出すなら許さない」
「ぱぱ。それ私の台詞」
一字一句丸ごと盗まれた。シャロンが苦い顔をして口を挟む。
何のことかな、とシャスールがとぼけた。先に言ったもの勝ちだ。
不穏なものを抱えているシェヴィに警告を与えようと思ったら、先を越されたのだ。これくらいはいいだろう。
「今日は警告までさ」
シェヴィの腕の氷結はすぐに融解するだろう。夕飯の頃には何ともなくなるはずだ。
この一幕を伏せさえすれば、いつもの通りに食卓を囲めるはずだ。
そしてシャスールはそのつもりでいる。この警告で姦計を諦めればそれでよし。わざわざ公にする手間をかけたくない。
「行くよ、シャロン」
「はぁーい」
夕飯の出来、期待してるよ。そう言い添えてシャスールは踵を返す。
シャロンもそれに倣った。あとには、シェヴィがひとり残るだけ。
「はは…っ、こえー………」
断ち切れた緊張感。シェヴィはずるずるとその場に座り込んだ。
まったく。前途多難だ。腕の氷を剥がしながら、シェヴィは苦笑いを浮かべる。
どうやら簡単に終劇を迎えられそうもない。演者に癖がありすぎる。
「うえー…どーすっかねぇ……」
少し台本に手を加える必要がありそうだ。さて、どう書き換えようか。
「楽しくなってきたじぇ。きっひひひひひひ」
終幕の光景を想像して、シェヴィは奇妙な声で笑った。


彼の舞台はまだ、終わりそうにない。