不意に、空が光った。直後響きわたる轟音。
「びっくりしたぁ…雷か」
驚いた拍子に雑誌を落としてしまった。シャアラが取り落とした週刊誌を拾った。
「またドジ?」
「いやいや姉さん、これは不可抗力だって」
「ほんとかしらね」
くすくすとシャルヴィスが笑う。ドジな妹はいかにもやりそうだ。
そんなやりとりをしながら、シャアラが読む週刊誌を横から覗き見た。
流行りの髪型が紹介されているが、スーラムの伝統を従順に守るシャアラには無用そうな内容だった。
「あぁ、でも隣のページの甘味は美味しそうね。今度食べにいこうか」
「行きたい!」
ブラクマールの大通りの角に新しくできたらしい店が特集されていた。
ドラゴンピッグの血を使ったプティングというが、果たして味はどうだろう。
そんな会話をしている間にも、空は光り雷鳴が轟く。
「耳に響いて嫌だわ。早く止まないかしら」
「そうだな」
うるさくてしょうがない。溜息を吐くシャオリーにシャスールが同意した。
「シャオリーの鼓膜に響かせていいのは俺の声だけなのにな」
「馬鹿なこと言わないの」
さらりと吐いた言葉に再度溜息を吐くシャオリー。
彼が喋る気障ったらしい台詞にどうも慣れない。頬に集まる熱をごまかすように薄い本のページをめくった。
紙の擦れる音が雷でかき消される。まったく、本当にうるさい。集中できやしない。
今からイオップの青年がスーラムの彼に襲いかかる美味しいところなのに。
「…ロッティ、怯えてない?」
「お、怯えてませんわよっ」
シャロンの指摘にシャルロッタはびくりと肩を跳ねさせた。
必死に否定しているが、顔が引きつっている。
そういえば海底に雷はないな、とのんびり考えながら、シャオリーは黙って成り行きを見守ることにした。
「怖がってるわけ、ない、きゃぁっ!」
ひときわ大きな雷鳴が響いた。その瞬間、シャルロッタは隣のシアランに抱きついた。
抱きつかれているシアランは表情を動かさない。初めての雷だが、最初の一落ちの音に目を瞠っただけだ。
むしろ雷を怖がる妻の様子を楽しんでいるふしさえある。
「こ、怖がってないですわよ!」
今のは音の大きさに驚いただけだと必死で言い張る様子に、皆の口端が緩む。
いじめてやろうか、どうしようか。あまりやると後ろのシアランが煩そうだ。
「雷、井戸に落ちないといいなぁ」
呑気なげらっちゃの声も雷鳴に消える。
「雨ー……」
雷のついでに降ってきた雨。たんすにゴンが溜息を吐いた。
こう天気が悪くては、外で踊れもしない。今日はあのステップをマスターしようと思ったのに。
家の中でステップを踏むと、足音が響くと怒られてしまうので出来ない。
「雨が降っても唐揚げは美味い」
自分で揚げた鶏肉を口に運ぶおおだぬき。
まさかとは思うが、そのキロポッズ単位の唐揚げを一人で消費する気ではないだろうか。
「もちろん全部食べるとも! 怯えるロッタ嬢で唐揚げ何杯でもいけるわぁ」
「怯えてませんわよ!」
にやつくおおだぬきに即答する。光る室内。一瞬の間の後響く雷鳴。
「きゃぁぁっ!」
強くシアランにしがみつく。怯えていないという言葉は何だったのか。
「…ロロット」
そろそろ助け舟を出してやるべきだろう。このままここにいたのでは、みんなの見世物になってしまう。
シアランがシャルロッタを抱き上げた。
「お楽しみ?」
「……昼からやるわけないだろ」
シャスールの揶揄にシアランが眉根を寄せる。
どうだか、とシャスールは肩を竦めた。シアランは結構肉食だ。ありえない話ではない。
怖がるシャルロッタを宥めているうちに、つい、なんて。そんな展開があってもおかしくはない。
行ってらっしゃい、と二人を見送って、シャスールは隣の妻に目を向けた。
「……ところでシャオリー」
「なによ」
シャオリーの視線は手元の本に向いている。
シャスールの位置からでも見えるその内容は、彼には理解しがたい代物だった。
「シャルロッタ嬢よろしく、雷怖いって言って俺に抱きつかない?」
歓迎するよ、と手を広げたが、却下の一言で一蹴されてしまった。
「馬鹿言わないで」
「ひどいなぁ」
相変わらず妻は冷淡だ。視線さえ合わせてはくれない。
「夜はあんなに可愛いのにな。昨日なんて自分から…」
分厚い再録本の角がシャスールに振り下ろされるまで、あと数秒。


何やら重いものが人体にぶつかる音がした。ような気がする。
その音に関してはシアランは放っておくことにした。どうせあの夫婦だろう。
「…ロロット、大丈夫か?」
「…………に、見えまして?」
だろうな、と苦笑した。抱えていたシャルロッタをベッドにあげて、自分の膝の上に。
その間にも雷は止まらない。そのたびに跳ね上がる細い肩。
そんなに怖いのだろうか。髪を撫でるが何ら効果はなかった。
ロロット、と呼びかける。強く抱き込んで、シャルロッタの右耳を胸板に押しつけた。
残った左耳は右手で覆う。完全に音が遮断されるわけではないが、やらないよりはましだろう。
「…俺がいるから」
囁いた言葉。両の耳から聞こえる鼓動の音。
遠くなった雷鳴にシャルロッタの恐怖も薄れていく。
背中に腕を回して抱きつけば、力強く抱き返された。


昼間、鳴り響き続けた春雷は、ようやく止まった。
「あぁ、もう、まだ耳に残ってるわ」
シャオリーが頭を振る。それでも鼓膜にこびりついた音は振り払えそうにもない。
「俺がどうにかしてあげるよ」
言うが早いか、シャスールが妻を抱き寄せる。腕に引き込んだシャオリーの耳に、愛してる、と一言。
「な、ぁ、っ…!」
完全に不意を突かれた。酸欠の魚のように口を開閉させるだけのシャオリーに、してやったりと彼は笑った。
「あー…リア充爆発しろ」
その光景を見せつけられたアイアンが半目でふてくされる。ばきゅんもそれに同意した。
何処かに行ってほしい。八つ当たりに近い言葉に、ふむ、とシャスールは唸る。
「じゃぁ、シャオリー、寝室行こうか」
抗議の言葉は無視。耳どころか首まで真っ赤な妻を抱き上げて悠然と居間を出る。
彼女が自分を持ち直して抵抗を始める前に、丸め込んで美味しくいただいてしまおう。
狩人と獲物の関係になり果てたふたりのその横をシャルロッタとシアランが入れ違う。
「まったく、嫌になりますわ」
雷がうるさくてしょうがなかった、とシャルロッタは肩を竦めた。
その態度はいつも通りに戻っている。落雷に震えていた面影などない。
「怖がるロッタ嬢可愛かったのになぁ」
「怯えてませんわよ!」
あれが見られるならいくらでも雷が落ちてくれ。
そうのたまうおおだぬきに、シャルロッタがくわりと牙を剥いた。
「ねぇロッティ」
悪戯を思いついた顔でシャアラが差し出したそれは呪文巻物。
呪文巻物、落雷。使えば周囲に雷が展開するスキル呪文を覚えることができる。
「ちょっと!」
冗談じゃない、とシャルロッタが声を上げた。
「わー、ロッティが怒ったぁ、逃げろー!!」
「お待ちなさい!!」
そのまま追いかけっこが始まった。
ちょうど退屈していたところだと、暇を持て余していた全員がそれに参加し始める。


家の中で走り回るんじゃない、とシャオリーの雷が落ちるまで、あと少し。