ついに来る裏切りの日。


貫く。身体を割って傷つけて愛する。
「シャオリー」
翻弄される彼女の耳元で囁いた。ぴくりと震える尖った耳。あ、締まった。
「な、に…?」
喘ぎの合間に訊ねられる。潤んだ瞳が緩やかに俺を捉えた。
呼びかけたくせに応えないで行為を進める事にした。
そろそろ俺だって限界だ。貪り尽くすように腰を打ちつけた。
甲高い喘ぎ声。しがみつかれる。背中に回された手が爪を立てる。ちょっとだけ痛い。
構わずに絶頂にひた走る。切羽詰まる声。彼女の余裕なんてとっくに奪い去った。
まぁ、俺も余裕ないんだけど。
「俺のことだけ考えて」
欲望を注ぎ込みながら、先程の呼びかけの続きを紡いだ。


気を失ったように眠る彼女の寝顔を見た。
警戒の欠片もなく、安心しきった顔だ。それほど信用されているということか。
俺の隣なんて一番危険なのにな。でも、好都合だ。
張りつめた弓、狙い定めろ。機は熟した、矢を放て。
夜明けが近い。わずかな刺激さえ拾って瞬きの多くなった右目を眼帯で覆った。
「じゃぁな」
聞こえてないだろうが。眠る彼女を置いて外に出た。


朝。起きたら一人だった。
「………嘘」
ベッドには自分のぬくもりしかない。いったいいついなくなったのだろうか。
愕然とする。いなくなってしまったそれが、過去と重なる。
握りしめた手が震える。心の奥が冷えていく。
「なんで……」
どうして私はこうも絶望しているのだろう。
彼が裏切ると知っていた。切断するために結んだのだと知っている。
それはこちらとして同じだ。彼の計略を知ってあえて乗った。
切り捨てたくなっても切り捨てられなくなるほど縛りつけてやろうとした。
いつしか何らかの形で決着するだろう。いつかこの日が来るだろうことは覚悟していた。
その日が来ただけだ。そう、ただそれだけのはずだ。
それなのに、隣の空白が何故こうも心を突き刺すのか。
「……私の負け、か」
いつの間にかここまで彼に浸食されていたのか。
彼の勝ちだ。私は屈しよう。首輪をつけられてやろうではないか。
「シャスール……」
彼に支配されるなら悪くない。そう思うほどに繋ぎ止められてしまった。


そろそろいいか、と、俺は立ち上がった。
彼女が起きる時間だ。さて、いったいどんな顔をしているのだろう。
きっと絶望に満ちているだろう。もしかしたら泣いているかもしれない。心が躍る。
「あれ?」
心躍るはずだ。いつもの俺ならそうなるはず。
それなのに何故、暗沌とした気持ちになるのだろう。
きっと浮かべているだろう心痛の表情。その想像が俺を責める。
ふむ、と唸った。心は答えを告げていた。
「俺の負けか」
いつの間にか彼女に縛りつけられてしまっていたようだ。
捨てることを躊躇してしまうくらいに。躊躇なんてものじゃない。選択を拒否してしまうくらいに。
「お見事、シャオリー」
彼女の元に行こう。ターキーの腹を蹴った。
絶望した顔に勝利宣言を下すのではなく、彼女に敗北したことを告げに。


「シャオリー」
びくり、と跳ねる肩。ゆっくりと振り返ったシャオリーの視線の先にはシャスールがいた。
「っ、シャス」
その姿を認めるなり、シャオリーは迷わず抱きついた。
一瞬見えた表情は、ようやく親を見つけた迷子のそれ。
シャスールはまっすぐ駆け寄ってくる妻を抱き止める。
「…何処、行ってたのよ」
「ごめん。ちょっと用事でさ」
適当にごまかしながら、シャスールは彼女を抱き締める。
「……本当は帰ってくるつもりはなかったんだ、って言ったらどうする?」
ぴたり、と空気が止まった。
ややあった間のあと、でも、とシャオリーが口を開いた。
「でもあんたはここにいるじゃない」
「うん、捨てられなかった。――君の勝ちだよ、シャオリー」
それが答えだ。シャスールは彼女に敗北宣言を捧げた。
「…シャス、あんたの勝ちでもあるのよ」
「どういう、」
意味、と聞きかけて気付く。腕の中のシャオリーが震えていたことに。
「何処にも行かないで」
震えた指が裾を握る。抱きついてくる腕の拘束は固い。
これほどかけがえのないものになっている。これほど浸食されきっている。
「……じゃぁ、引き分けか」
「…そうみたいね」
なんだ、と苦笑した。苦笑いをこぼしたシャスールにつられてシャオリーも笑う。
互いの勝ちで負けだ。シャスールは彼女から離れられないし、シャオリーもまた彼から離れられない。
惚れた弱みという奴か。素直になれば単純な話だ。
もう一度しっかりと抱き締めて、初めてこの言葉を舌に乗せた。

「愛してる」