降り積もるそれは何?


「寒い」
ほんと嫌になっちゃう。シャルロッタが身を竦ませた。
ただでさえ寒いのに、おまけに昨晩は雪が降った。
凍った路面に取られないよう気をつけながら、シャルロッタは古本屋へ向けて路地を歩く。
手袋を忘れてしまった。むき出しの手に息を吹きかけた。しかし大した効果はなかった。
「ロロット」
隣を歩くシアランが手を伸ばす。
シャルロッタの冷えきった左手を右手で取って、自分の手と一緒に上着のポケットに突っ込んだ。
「大丈夫ですの?」
そういえばシアランは寒いのが苦手だった。
機械の手は簡単に冷えて接合部から体温を奪っていく。
それなのにシャルロッタの冷たい手なんか触って平気だろうか。余計に体温が奪われてしまわないだろうか。
そのことを思い出し訊ねてみたが、緩く首を振られた。
「俺よりロロットの方が大事だ」
さらりとそんなことを言われた。意味を理解するなりシャルロッタの顔が首まで真っ赤に染まる。
「…顔赤いぞ」
「さっ、寒さのせいですわよ!」


「熱いね」
買い出しの行き道。たまたま見かけたやりとりを指してシャスールが苦笑いした。
昨晩積もった雪なんて、あのふたりの愛の熱さで溶けてしまいそうだ。
「俺たちも?」
「結構」
差し出された手。それをシャオリーは一言で切り捨てた。
きちんと手袋をしているから必要ない。路面に足を取られて滑るなんて間抜けもしないだろう。
手を繋ぐ理由なんてない。ひとつもない。
妻の万年雪のような態度にシャスールが困ったように笑った。
「言い方変えようか。…お手をどうぞ、我が姫君?」
「…………しょうがないわね」
こうやって甘やかせば簡単にほだされる。ちょろいもんだと内心であざ笑った。
それを薄々見透かしながらシャオリーはシャスールの手を握る。
「本当、夜にしか素直にならないよな。昨晩なんて俺の上に乗ってきて、もっと、って…」
「っ、お黙り!!」
言いかけた直後、シャオリーの足払いが綺麗に決まった。


シアランは普段から口数が多い方ではない。それに加えて、寒さのせいで余計に口を開きたがらないようだ。
沈黙ばかりが降りるのも嫌なので、その代わりにシャルロッタが喋る。
昨日のこと、今朝のこと。シャアラがまた皿を割って姉に怒られていたこと。
シャロンが暖炉の前から動こうとしなかったこと。
暖炉の火勢を強くしろと要求するアイアンにばきゅんが必要ないと切り捨てて醜い争いが起こったこと。
その争いはシャオリーの一声でぴたりと止まったこと。
井戸が凍っているとげらっちゃが泣き、実は凍っているのは表面だけで中は無事だと知るや否や狂喜していたこと。
たんすにゴンの仮面すべてに妙な眉毛が描かれていたこと。
しかも丁寧に額に肉と書かれていたこと。さらにそのインクは特殊なもので、なかなか落ちないものであること。
シャルロッタの口から次々と飛び出す他愛もない話に、ひとつひとつシアランは相槌を返す。
「それで、しずくちゃんとたぬきが……」
「ロロット」
長いこと発せられなかった声に、シャルロッタが言葉を止めた。
なんですの、と続きを促した。口以上に多弁な緑の瞳と正面からぶつかった。
「…他の奴の話」
寒さのせいで要点しか喋らない。いや要点にすらなってない。
それでもシャルロッタはきちんと意図を汲み取った。
「あぁ、もう、しょうがないですわね」
つまりは、だ。他の奴の話をしていないで構えと。自分のことだけを見てろと。
シャルロッタが楽しそうに話すものだから、止めるのも悪いと思って我慢していたがそろそろ限界だと。
シアランが見せた小さな嫉妬に苦笑いする。
「あなたが一番ですわよ。何より一番、ね」
握ったままの手を強く握る。すぐさま握り返される生身の手。
「早く帰りましょう。それで、たくさん話しましょうか」
お互いのことを。お互いのことだけを。


雪がちらついてきた。降り積もり始める雪のように、ふたりの間には沈黙が降りていた。
「シャオリー」
「却下」
本題を言うより先、一言のもとに切り落とす。
買い出しの荷物を抱えたシャスールは何度目かもわからない苦笑を漏らした。
「少しくらい持ってくれたって…」
「あんた男でしょ。それくらい文句言わず持ちなさい」
荷物を抱えているために、せっかく繋いだ手すら離れてしまった。
視界の先に映るスチーマーの夫婦のように甘い雰囲気はいっさい無い。
殺伐としている。薄氷ほどの愛さえ無い。
ツリッターの根弓を1つだけクラッシャーにかけた時に似ている。
「ワンって鳴いたら持ってくれる?」
「犬の分際で私に荷物を持たせるの?」
痛烈な返礼。シャオリーの言葉が辛辣の矢と化している。シャスールが肩を竦めた。
「迫害の矢よりマシでしょう」
「そこはせめてヒーリングのおまじないで…」
ごねてみれば、エニリプサじゃないから無理、と返された。
さっき一瞬ほだされたのは何だったのか。シャスールの心に苦いものがにじむ。
けれどそれでこそ、屈服させたときが心地よい。来たる快感のために今は耐えるとしよう。
「シャオリー」
なに、と返事。必ず応えて、絶対に黙殺しないのはせめてもの愛情だと信じたい。
「夜、俺のパワフルショットくらわない? クリティカルヒットさせるからさ、どう?」
問答無用で一発殴られた。


「ただいまーですわよー」
「おっかえりー!」
帰ったシャルロッタとシアランをシャアラが出迎えた。
「……ただいま」
「シアランもおかえりー。それでロッティ、目的のものは?」
待ちわびた様子でシャアラが訊ねた。
シャアラが古本屋に頼んでいた書物が店に届いたのが昨日。
しかしシャアラには予定があってどうしても取りに行けなかった。しかし一刻も早く読みたい。
なのでふたりに取ってきてくれよう頼んだのだ。正確にはシャルロッタにだけだが。
「もちろん! これですわよね?」
「そうそうそれ!! やったぁ! ありがとう!!」
早速読む、とシャアラが居間に走っていった。遅れて二人も居間へと足を向ける。向けかけた。
「ロロット」
シャアラに本を渡すために離れた左手と右手は、右手同士で繋がった。
「…やっぱり、冷えきってる」
シャルロッタの左手はずっと握っていたので暖かい。しかし右手まではどうしようもできなかった。
「もう、これくらい大丈夫ですわよ」
それよりもシャルロッタが気にするのはシアランの方だ。
ほとんど表情を動かさない彼だが、シャルロッタだけはわずかな変化から正確に感情を読みとる。
何でもないというふりを装いながら、時たま小さく顔をしかめていた。
おそらく接合部が痛むのだろう。寒さで緊張した身体が締まって、神経を圧迫して不協和音を奏でるのだ。
「俺よりロロットの方が大事だ」
「あぁ、もう、そういうこと言って」
先ほどとは意味が違う。シアランは自分を振り返らないから厄介なのだ。
自分を犠牲にしてでも過保護なまでに妻を愛する。
今だってそうだ。自分のことよりも、シャルロッタのちょっとした手の冷えの方を優先する。
「あなただって大事なんですからね、シアラン」
自分が愛する妻が愛するものも大事にしろと怒れば、緩むシアランの顔。
こうやって弱さを見せるのは彼女の前だけだ。正面からシャルロッタの肩に頭を埋めた。
小さく力無い声で、今まで隠していた苦痛を訴える。
「……………痛い」
「ほら見なさい。早く暖かいとこ行きますわよ」
左肩あたりから響く痛みに耐えかねている夫の手を引いた。
どうせ暖炉の前はアイアンとシャロンが占拠しているだろう。
シャロンをどかすのは忍びないので、もうひとりの方を強制的に追い出してしまおう。
身体を暖めても駄目だったらシルヴェスタを呼ぶべきだろうか。
痛みから幻肢痛は引き起こされないだろうか。
そんなことを考えながら、シャルロッタは居間の扉を開けるや否や、怒濤の攻撃でアイアンを襲った。
「さっさとそこをおどき! 短小ネッシー!!」
私が寒いの。そう言って追い出した。
シアランが弱っていることは言わない。言えば皆に気を使わせてしまうから。
文字通りアイアンを叩き出して空いた場所に陣取るシャルロッタ。
その側にシアランが座る。表情はいつもと同じに戻っている。
「ひどい! ひどい!! 寒い!」
「うるさいわね、全裸に剥いて外に放り出しますわよ」
あくまでいつも通りを装う。さりげなくシアランの左側に寄り添った。
とっさに引かれた左手を取って視線で訴えれば、意図を察してされるがままになった。
少しでも体温が移ればいいのに。願うように密着した。


それより少し遅れてクラの夫婦も買い出しから戻ってくる。
「ままぁぁぁ! おかえりぃぃぃ!!」
帰ってくるなり待っていたとばかりにシャロンが抱きついてきた。
シャオリーはきちんとそれを抱き止めた。
「まま寒かったでしょ? 暖炉の前あけておいたからそっちいって! はやくー!」
急かす娘に苦笑する。世話焼きなんだか何なんだか。
言われるとおりにシャオリーは居間への廊下を進んだ。
玄関に取り残されるシャロン。そしてシャスール。
シャオリーの気配の残滓さえ残らなくなった頃、絶対零度が二人の間に吹きすさんだ。
火花が散る。今ここに武器があれば、弓と剣が交わっていただろう
「……お前は来るな、外で立ってろ」
「残念だけどそれは叶わないかな」
ほら、と指す。後を追ってこないのを不思議に思って戻ってきたシャオリーの姿。
絶対零度が停止する。散っていた火花も消えた。
「何やってるの。早く来たら?」
首を傾げるシャオリー。彼女は二人の水面下の確執に気付かない。
「んー。ぱぱのお荷物いっぱいでたいへんだねーって言ってたの!」
「何でもないよ。シャオリーが持ってくれなかったって愚痴ってただけさ」


1の月の末の日。
アルマナクス寺院の祈りの間で、今日を担当するメリドは小さく笑った。
「どうかみんな幸せでありますように」

今日は、愛妻のメリド。

「……ブウォーカーの使用済みプロテクションが貢ぎ物とはやるわね」
「え、だって、こんなようなもの、夫婦には必要ないものでしょう? だったら私に捧げてよ!」
メリドから要求されたそれに苦笑いするのは、また後の話。