世界の東に位置する島、ワビット島。その南東に据えられたザアップが不意に揺らめいた。
ゼロール神の肉体の一部を切り取って作ったと言われるそれ。青い膜のようなものが揺らぐ。
まず出てきたのはターキーの脚だ。遅れて頭が飛び出して、次に騎手を乗せた背中が。
尻尾の末端まで抜け出して、そして数歩遅れて勢いよく飛び出してきたのはドラゴエッグの頭。
「ノーラ、走ると前にぶつか、きゃ!」
ドラゴエッグの騎手が注意を促す前に、盛大にターキーに激突した。


ワビット島の内部は複雑に入り組んでいる。
「ついてきてね」
そう言って先行するシャオリーと、それが乗ったドラゴエッグの背中をシタールが追う。
まるで道端の雑草だというように、シャオリーは一矢でワビットたちを蹴散らして道を開ける。
「はは…すっげ……」
シタールが激闘の末に破れたことがあるスカラ・ワビットの群れですら二矢で仕止めた。
目の前で展開される圧倒的な力量差。文字通りレベルが違う。
「俺、いらねーじゃん」
思わずそんな言葉が飛び出してくる。シタールの呟きにシャオリーが振り返る。
「ここから手伝いがほしいのよ」
シャオリーが目の前の扉を指す。明らかに今まで通ってきた地下への入り口と違う。
ワビットダンジョン、とシャオリーが付け足した。
「手伝いって、なんだよ」
駆逐という言葉を体現するかのように爆炎に全てを飲み込んでいくこのクラに、シタールが手伝えることなどあるのだろうか。
シタールの疑問にシャオリーは答えず、乗っていたドラゴエッグを手持ちに戻してターキーを呼び出す。
見るからに痛そうなトゲをいくつも備えたネズミ卿の儀式リングを外して付け替えてるのはご名誉リング。
指輪を付け替えたシャオリーがターキーに跨る。黒とエメラルド色の眩しいストライプがカメレオン能力で黒一色に変わった。
「なぁ、聞いてんのかよ」
「はいはい聞いてるわよ。…入ればわかるわよ」
オウガあたまを被り直して、シャオリーがターキーの脚で扉を蹴り開けた。


このダンジョンは地下にある。地図を見れば、どうやらこの真上はカニア湾にあたるらしい。
ワビット島のザアップからずいぶん遠いところへ来たものだ。久々の大冒険にシタールが心躍る。
「うおっと!!」
ヲボットのウォータリーレースをすんでのところで避ける。振り下ろされた腕に意識を飛ばされるところだった。
集中しないとな、とシタールが気を引き締めた。ついでにヲボットに天界の剣のお見舞いをくれてやる。
「ぼさっとしてると気絶コースよ」
クラの基本である距離を保ってシャオリーが矢を射る。シタールの目の前に迫るヲボットの足下に突き刺さる矢。
着弾と同時に風が巻き起こる。退却の矢。ヲボットがシタールから大きく離れる。
ウォータリーレースのあの凶悪な一撃の範囲からシタールを引き離したのだと彼が気付く前に、すでにシャオリーは次矢を番えている。
はりつめた弓。狙い定めろ。シャオリーの指のご名誉リングが明かりを反射して光る。
「シタール、あと2歩後ろ!」
言うと同時に矢を放つ。シタールが慌てて数歩退いた。入れ違えるように矢が敵中へ。
着弾。炸裂。爆発の矢がヲボットに引導を渡す。
砕け散ったヲボットの部品を踏み越えて、もう1匹のヲボットが歩を進める。背中に背負った矢を投げ槍の要領で放る。
自分めがけて飛んできた矢を、シタールは剣で叩き折った。
「さっきから攻撃が俺ばっかり…」
前衛のイオップと後衛のクラとはいえ、あまりにも攻撃が偏りすぎではないか。
愚痴にも似たその呟きに、シャオリーはしれっと言い放った。
「言ったでしょ、手伝いが要るって」
つまりは、肉壁だ。ヲボットの攻撃がシャオリーに向かないように。それだけだ。
シタールの攻撃にいっさい期待はしていない。ただ攻撃が逸れればいい。
「ひっでぇ!」
「そういうもんよ」
あっさりと言い放つシャオリー。異論があるなら勝ってからにしなさい、と付け足す。
この戦闘に、ではなくシャオリーに、だ。勝てるわけがない。
反論できない鬱憤を晴らすようにシタールが天界の剣をぶち込んだ。
「刃を抜け、いざ行かん!」
イオップ特有の言い回しで気合いを込めての一撃。そのはずだった。
しかしその攻撃は致命的な一撃にはなり得なかった。ほんの少しヲボットの部品を吹き飛ばし配線を断ち切っただけだ。
「上出来。…1歩右!」
シタールが上手いこと脚の配線を切ったようだ。歩みの止まったヲボットに向けてシャオリーが弓を引く。
魔法の力が矢を作る。番えた腕にクラの印章が浮かぶ。
真っ直ぐ正面にヲボットを捉えたシャオリーが矢を放つ。火と風の力を伴って矢が飛んでいく。
迫害の矢がヲボットの装甲を吹き飛ばす。
「トドメは任せていいわね?」
「おうよ!!」
嬉々としてシタールが剣を振る。今まで良いところ無しだった。ここらで美味しいところをもらっておきたい。
しかし振り上げた剣は無情にもシタールの手からこぼれ落ちた。
「このヒヨコップ!」
力みすぎたと自省する前にシャオリーの叱咤が飛んだ。ついでにヲボットの反撃もだ。
「うわ、わっ!!!」
危ないところで避けた。さっきまで立っていた場所にヲボットの機械の腕がめり込んだ。
「おバカ!!」
シャオリーが怒鳴って、ターキーを駆る。仕止めそこなったということは、またウォータリーレースが叩き込まれる可能性があるということ。
ここでしっかり止めを刺しておきたい。矢を番えた。
林立する緑の柱が障害物になって矢は真っ直ぐ飛べそうにない。しかし、こういう場所での攻撃方法は心得ている。
「それっ」
放たれた矢が曲線の軌道を描いて柱の隙間を越えていく。
最後に太い柱を迂回して、粘着の矢がヲボットの後ろから装甲を貫いた。
「今度こそぉぉぉ!!!」
シタールが剣を振るう。裂帛の気合いの一撃は、ヲボットに止めを刺した。
がしゃん、とヲボットの破片があたりに飛び散る。これで残るはワ・ワビットのみ。
ヲボットの恐ろしい近接攻撃がなくなったことで、ようやく思い切った攻撃ができる。
「ほら、お行き!!」
ワ・ワビットの呼び出したカロットを爆発の矢で叩き壊してシャオリーが道を開けてやる。
綺麗に開いた一線を走って、シタールがワ・ワビットの眼前に迫る。
イオップの印章がワ・ワビットの頭上に一瞬光る。
ブロックルが技の力を最大限に引き出す。シタールの天界の剣がワビットの王に引導を渡した。


負けを認めたワ・ワビットに連れられて、地上に出てこればそこはマドレスタムの港。
夕日に照らされた石畳の上をカニがのんびりと歩いているのが見えた。
「お疲れ様」
シャオリーがシタールの肩を叩いて労う。良い肉壁だったという言葉は胸の中にしまっておいた。
「これが、あと2回かぁ」
シタールの手には、ワ・ワビットの持っていた杖。
カロットドフスを手に入れるためには、残りの王冠とマントを入手しなくてはならない。
つまり、あの道中をまた2回繰り返さないといけないということだ。
さらに言うなら、あの迷路のようなワビット島を疾走してカロットダンジョンへ向かわなければならない。
しかし、そこまでして得たドフスが良質のものとは限らない。最悪の品質のものである可能性だって十分にある。
なんとも途方もない話だ。頭を抱えたくなってくるシタールであった。
「はは。頑張りなさい」
もうすでに行き慣れているシャオリーが苦笑する。
行き慣れているということは何度も通っているということだ。何度も通っているということは、すなわちそういうことだ。
最低値のカロットドフスはシャオリーのアイテムリストの底で眠っている。
「でもまぁ、1回行ったからもう道は覚えたよ」
記憶力には自信がある。細かい道順までは把握してないが、だいたいの道のりはしっかり覚えた。
そう言うシタールに、え、とシャオリーが声を上げた。
「イオップなのに?」
「イオップなのに!!」
えへん、と胸を張る。こう見えても記憶力は確かだ。
「信じられない……」
疑問の目を向けるシャオリー。その疑いの視線が不意にシタールから逸れた。
どうしたのだろうとシタールもその視線が移った先を追う。道を歩くひとりのエニリプサがいた。
「シルヴェスタ!」
「あ、どうもー」
たまたまそこに通りすがったのはシルヴェスタ。
潮風に乱されたにしてはやたら散らばっている髪が揺れた。
「お兄さんまたねー!」
シャオリーに会釈して、シルヴェスタが背後の漁師に手を振った。
成程そういうことかとシャオリーは何も言われず把握した。
「奇遇ね」
「ほんとだね。…そっちのイオップさんは?」
シルヴェスタがシタールを見る。マスカット色の瞳が品定めするように視線を注ぐ。
「あぁ、えっと、私の知り合い」
ジェニスタの名前を出せば、あぁ、とシルヴェスタが了解した。
「シルヴェスタだよ。よろしく」
「こっちこそよろしくな。シタールだ」
差し出した手をシタールが握る。
ところで、とシルヴェスタがシタールを見据える。
連勤になるが、まぁいいだろう。初対面だし安くしよう。そんなことを考えながら。
「親交を深めるために、一晩ベッドで過ごしてみない?」
「………は?」
唐突な発言にシタールが硬直する。
唖然としているその様子をシャオリーが面白がって笑った。
「いいじゃない。過ごしちゃえば?」
「いやいやいやいやいや!!!」

その光景を、カロット色の夕日が照らしていた。