「えーとはい、それじゃあ今日はここまでー。」

教壇に立つ講師の気の抜けた号令。それを合図に…するまでもなく教室はざわついている。すでに終了5分前にはみんな筆記用具を鞄にしまっていた。
学生達はがたがたとめいめいに席を立つ。時間は12時の2分前。いち早く食堂の席を取ろうとする者、その辺で集まっておしゃべりする者、そのまま教室で昼食を食べようとする者、えとせとら、えとせとら。
そんな中、真ん中あたりの座席から、長い青髪の女性が席を立った。
さて、待ちに待ったお昼ご飯だ。

とんとんと階段を降りて外に出る。今日はぽかぽかといい天気。外でピクニックしてる人たちを眺めながら、彼女は少し離れた建物へと向かっていく。
途中、同じ方向へ行くオレンジの髪を見つけた。ぱっと顔をほころばせた彼女は、ぱたぱたと手を振って呼ぶ。
「ヒカトー、おはよー。」
「ん…?あ、ミズハ!おはよー!」
昼だからおはようじゃないと言われればそうなのだが、そこは学校内の慣習みたいなもので。
ミズハと呼ばれた青い髪の女性…御空木瑞葉<ミソラギ ミズハ>は小走りで近づいて微笑んだ。
鮮やかなオレンジ色の長髪を後ろでくくった眼鏡の青年は、中学時代からの幼馴染、沖屋煌斗<オキヤ ヒカト>。
「おっはよ。2講目どうしたの?いなかったけど。」
「あー、えっと…寝過ごした。」
「あーあ。出席足りなくても知らないからね?」
「まだ大丈夫、まだ2回目!むしろ試験前にノート恵んで欲しいなっ。」
「いいよー。でもよくそんなんで単位取れるよね。いいなぁー…。」
「それはミズハの見やすいノートのおかげだって。」
そんな他愛のない会話をしながら、ミズハとヒカトは同じ建物に向かっていく。
少し寂れた、というか空気がこもったようなその建物はサークル棟。その名の通り各サークルの部室が並んでいる建物である。ミズハ達の部室は3階の突き当たり。
途中にある喫煙室から漂う煙草の匂いも、2年になればもう慣れた。隣のオレンジ髪が吸うからというのもあるが。
そして辿り着いた寂れ気味のドアには、これまた寂れたプレートがはめこまれていた。
『ミステリー研究会』
という、なんともマイナー感溢れるサークル名が。
二人は気にせず、ドアをノックもせずにひょいと開けた。
「誰かいるかなー。おはよーございまーす。」
「おはよーございま…げ、お前か。」
8畳あるかないかの狭い部室の中には先客が一人。茶緑の髪をポニーテールにした青年。パイプ椅子に足を組んで本を読みながら、購買のたまごサンドをぱくついている。
「ん、お前達か。おはよう。」
「お…おはようございます、リヒルト先輩。」
そっけない挨拶をした青年はリヒルト・シュテンバーグ。文学部史学科4年生。ちなみにミズハとヒカトも同学部同学科で、今年2年生である。

とある市の中心地。車の多い通りから木々の多い方へ少し歩いていくと、小さめだが年季の入った石門が姿を表す。
それがミズハ達の通う大学、時乃坂<トキノザカ>大学である。
通称は時大。文学部から家政学部まで幅広い学部が揃っている国立大学。SSは著名校程ではないが、それなりの好成績をセンターで叩きださないと入れない。
生徒は外部から入ってきた者半分、付属の高等部から持ちあがってきた者半分といったところ。
ミズハ達はここに通う学生として、日々勉学に励んでいるという訳だ。

…まぁ、表向きは。
「先輩、3講あるんですか?」
「俺はないな。4講にゼミが入ってはいるが…。ミズハは?」
「わ、私も3講ないです。」
「そうか、じゃあゆっくり昼飯が食えるな。」
勉学に励むといっても高校や専門学校みたいに朝から晩まで授業がある訳じゃない。今日は1講と2講と5講、明日は2講と3講と4講、といった感じで。
空いた時間はどこで何してようと生徒の自由。学校の外へ遊びに行ったって怒られない。
ミズハ達の空き時間は、大体この部室で費やされる。お昼を食べるのもほとんどここ。過ごしやすいのである。
もっともミズハもヒカトも、ここに来れば目当ての人に会えるというのが大きな理由だが。
「…ていうか、なんで4年にもなって部室来てるんだよ先輩。」
紺色の弁当箱を開けながらヒカトはぶつくさ呟く。ヒカトの昼食は大体が手製弁当。自作だったり、同居している妹作だったり。
「あぁ、ここは文献読むのにちょうどいいんだ。」
「あぁそーかい。」
「またもーヒカトはそういうこと言うー…。」
「いや、うん。慣れたからさすがに。…って。」
微苦笑していたリヒルトだったが、がさごそビニール袋を開けるミズハの手元にぎょっとした。
「…ミズハ、今日の昼食もそれなのか?」
「え?あ、はい。ポットにお湯ありますか?」
「ある…けど…。」
ミズハの昼食は、フラッシュアニメのCMもやってた超メジャーなカップラーメン。
リヒルトの記憶が正しければ、昨日も一昨日もその前の日もカップ麺が昼食だったはずだ。
「…他の栄養取らなくていいのか…?」
「え、ちゃんと栄養入ってますよー。ほら、この辺にお肉とか野菜とか。」
「…そうか。」
黙るしかなかった。どうもミズハの食生活は偏っている…。購買のサンドイッチをぱくつく自分も自分だが、この状態のミズハが一人暮らし…ちょっと、いやかなり不安。
「おはようございますですっ!ふあーようやくお昼ですうーぺこぺこですうー。」
「はいはいわかった少し黙れ。もう少しで食えるだろうが。」
と、そこへ新たに二人部室に入ってきた。一人は大きな花飾りに可愛いワンピース。一人はそっけない服装に高く結った長い金髪。
前者が家政学部生活デザイン学科2年、レイナ・ミレット。後者が理学部数学科1年、ライラ・スフォルツァンドだ。
「げ、何お前らまたきたの?部員じゃないくせに。」
「黙れ糞蜥蜴。どうせ正規部員なんぞ4人ぐらいしかいないだろうが。」
「お昼にしましょー、お昼にしましょー!」
ライラは剣道部、レイナは手芸部だがこの部室にはよく遊びにくる。ミズハとバイト仲間なのもあるし、ミス研自体ほとんど活動のない休憩所みたいな部活だからだ。
「おお、賑やかになってきたねぇー。そろそろスマブラ対戦できるかな?」
「うわっ、フロイトいたの!?」
「おはようございますミズハ先輩。つい先ほど来たばかりですよ。」
にこっとそう答える紫のツインテール少女はフロイト・ロッテルダム。経済学部経済学科1年。
つい先ほどって、ドア開いた気配なかったのに…。フロイトは何故かいつも神出鬼没。ちなみに彼女も正規部員ではない。
「ちょっ、いいってなんか混んでそうだしオレは帰るっ」
「あらそう言わず少しあがっていってくださいな…おはようございます皆さん。今日は随分おそろいですわね。」
その頃ドアの外から声がして、間もなく二人の来訪者が現れる。黒髪の生意気そうな少年は付属中等部のラシル・ミリアリー。それを半ば引きずっている長髪の女性は魚海寿里<ウオミ ジュリ>。文学部英文学科3年で、ミス研の部長だ。
「ご安心を、わたくしショタ属性も備えておりますから。さぁさぁごゆるりとなさって。」
「その台詞のどこに安心しろっていうの!?」
「ていうかジュジュ、普通に中学生引き込んでくるな。」
「いいじゃありませんことリヒ先輩。目の保養ですわ。」
愛称はジュジュ。後輩にもジュジュ部長とかジュジュ先輩とか。
「まぁあくまでショタ観覧はサイドメニュー。本当のメインディッシュは…。」
普段かけない丸眼鏡をかけ、紫の瞳がぎらりと光る。
「…あと、3秒後。」
「ッ!!!」
それを聞いたリヒルトがいっきに青ざめた。文献とパンのゴミを素早く片付け立ち上がる。
「…悪いが俺は帰らせてもらっ…」
「おや?どちらに帰られるのです?」
甘いトーンの声。リヒルトの全身に鳥肌が立つ。おそるおそる振りむけば…いつ入ってきたのか、白衣に身を包んだ赤目の男が立っていた。
「あぁ、早くもゼミに来てくれるつもりだったんですね?まだ4講まで時間があるのに嬉しいですねぇ。」
「断っじて違うッ!何故貴様が此処にいるッ!!」
「先生に対して貴様もないでしょう。愛しい貴方に逢いにきたんですよ。」
「今すぐ消えろおおおおッッ!!!」
史学科の教授、ルワーレ・マイヨール。コアすぎる研究テーマな上に男も食える人間なので非常に悪名高い。彼のゼミにリヒルトが入ったのが運の尽き…それ以来、この有様である。
それをにやにやしながら眺めるのが、ジュジュの日々の楽しみ。
「くっくっくっ、やぁっぱリヒルト先輩はウマいねぇー…。」
「えっと…ジュジュ先輩?」
「あら、ミズハさんは知らなくていいことですわようふふ。」
眼鏡を外して、見事なお嬢様スマイルでジュジュはかわした。それで流しちゃうミズハもミズハなのだが。
「そっか、よくわかんないけどゼミって大変なんだね。」
「あー…うん、そうだねー…。」
とりあえずヒカトはそう返事するしかなかった。その時、こんこんと窓からノック音がした。
「おーい、蜥蜴坊やー。」
そうヒカトを呼ぶのはゴスロリ風味の衣装に身を包む白髪の少女、クライア。こう見えて彼女も時大の教授である。
「なっ、ちょっとアンタ何やってんですかここ3階…!」
「困るねぇ蜥蜴坊や。預け物はきちんと面倒みてもらわないと。」
「預け物、って…。」
…さぁっとヒカトは青ざめていく。クライアはくつくつと笑い声をたてた。
「…食堂2階。さぁ行っといで。」
「あんの葡萄ゼリーがああああああああああああッッ!!!!!」
猛スピードでヒカトは部室を飛び出し食堂へダッシュ。見送るミズハにはさっぱり事情がわからないが、とりあえず皆色々大変なようだ。
うん、私も頑張らなきゃ。
賑やかな部室を振り向いて思う。
高校卒業から丸一年、この大学だけを志して浪人した。途中で何度も投げ出したくなったし、みじめな気持ちにもなったし、華やかな外の世界が恋しくて泣いてしまったりもした。
(でも、おかげで今私は、ここにいる。)
大好きな幼馴染、仲良しのバイト仲間、大学で出会えたたくさんの友達。

そして、ずっと逢いたかった、先輩。
今なら断言できる。私、幸せだ。

(あ、そういえば飲み物買ってこなかったな。)
カップ麺は結構喉が渇くので、飲み物がないと辛い。
ちょうど新発売のりんごジュースがあったはず。ちょっと購買行って買ってこよ。
賑やかな部室を通り抜けて、とんとんと靴をはいて。ドアを開けながらミズハは振り向いて言った。

「いってきますー。」


―――時乃坂大学へ、ようこそ!