どこまでも他意のない金の瞳
塞ぎ隠すように、手を、伸ばした。



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久しぶりに見た元彼女の顔は、記憶よりも数段醜いものだった。
容姿をどうこう言っている訳じゃない。笑顔も愛想も可愛いと呼ぶに十分足るレベルだろう、とは思う。
むしろそれが不愉快、だった。
別れた男にわざわざそう振る舞いに来る背景に、好ましい理由があるとは思えなかった。
(嗚呼下らない。)
火の尽きた炭が再び発火するなんて妄想<ドリーム>、一体どこから湧いてくるのか。
要るものは手元に置くし、要らなくなれば捨てる。我ながら随分わかりやすく生きてると、思うのに。
要らないものは、要らない。
生来持たない左の腕と同じ。
ようやく追い払って研究室に戻ると、盛大な溜息が出た。
「あーもう、なんなんですかまったくもう。」
「それはこっちの台詞だああああッッ!!!何だ貴様呼び出しておいてッ!!」
「…ん?」
そこで初めてルワーレはリヒルトが居ることに気づいた。
「あ、いたんですかリヒルト。」
とは言ってみるが今はゼミの時間じゃなかったはず。呼びだしたのだったか。用事なんだっけ。
あ―――、考えがまとまらない。
それもこれも気分を害したあの女のせいだ、と毒づく。
「いきなり学校に現れてはべたべたとくっついてきてあの女…何を考えてるんだか。」
「あの女…ってさっきの女性か。」
「随分前に振った女ですよ。名前思い出すのに苦労しました。」
…あからさまにうげろとした表情が返ってきた。ホント、わかりやすいですね貴方。ついついルワーレはからかう方向へ行ってしまう。
「おや、妬いてくださるんですか?」
「今の話のどこに俺が妬く箇所がある。」
「つれないこと言いますねぇ。まるで興味がないみたい。」
即答で切り捨てる青年にルワーレは口端を吊り上げる。リヒルト・シュテンバーグ。今一番ルワーレを楽しませてくれる玩具、だ。
もう少し、からかってみましょうか。ルワーレはわざとらしく右腕を持ちあげる。
「そこそこの量を抱いてきたんですけどね、この腕で。」
さて、どう反応しますかね。
研究以外からきしそうなリヒルトは予想通り、微妙な顔で目を泳がせた。初心なことだ。あまりに可愛い反応が可笑しい。
やがてリヒルトは呆れ返ったように、溜息をつく。
そしてそのお人好しそうな金の目が、こちらに向けられた。
「…俺にふざける暇があるなら、少しは女性に優しくしてやったらどうだ。」
…え?
というのが、ルワーレの素直な感想。
ちょっと予想外だった。まさか女の肩を持つとは。いや、どちらか、という感じでもないか。
私と彼女がうまくいくことを、望んでいる?
それは彼のパーソナリティを考えれば、容易く予想できる思考、だったのだけれど。
どこまでも他意のない金の瞳
塞ぎ隠すように、手を、伸ばした。
「なっ、」
…気がつけばリヒルトの頭が本棚へと押しつけられていた。その目は片手で覆われ視界を奪われている。それをやってるのは自分なのだけれど。わかっているのだけど、どこかブラウン管越しの光景。
「…痛いですか?」
親指だけを器用に伸ばして、口元を覆うマスクを、外す。
「いた、い…。」
それはそうだ。スチールの本棚に叩きつけられれば。
「何を、して…。」
困惑しきった彼の声が、問う。
―――何をしているか。それは私が、聞きたい。
だからルワーレは考えることを放棄して、リヒルトへと投げ返したのだった。
「…さぁ、ね。何をしているんでしょう。」
左脳を放り捨てれば、後はただただ楽なものだった。
さらけだされた首を無心についばみ、文字通り味わう。年相応で華奢さのない、けれど色の白い首。それをひとつ、またひとつ、赤い色で染めていった。赤はそこだけにとどまらず、熱と共に、全体へ。
明らかに慣れていない身体はその度に、びくっと跳ねた。かたかた、と震えさえ伝わってくる。
処女どころか、女性も未だなのかもしれませんね。
あながち外れてなさそうな想像に、思わず口端が上がった。
「先っ…せ、離して…ッ」
制止の声が甘く擦れていては、抑止にすらならないでしょう。それではクイズになりませんから、と囁く自分の声も情欲に擦れていた。
口づける、口づける、生白い首筋。その時の気分次第で軽く、きつく。血色になるくらい吸いついてやれば「んぁ…ッ!」と小さな悲鳴があがった。ねぇ、気づいてます?その声。唇で肩をそっと撫ぜただけでも、壊れそうな吐息が漏れる。
じたばたと、無駄な抵抗を始めたからより抑えつけた。わずかに浮きあがっていた彼の右手は、足で蹴りつけて撃ち落とす。
為す術なく縫いとめられた、標本の蝶。
それを愛おしむことがいかに滑稽か。嘲笑、が、零れた。
何をしているんでしょうね。本当、私にもわからない。
貴方なら教えてくれますか?…なんてね。実のところ答えを求めてはいないのだろう、自分は。
幻想<ドリーム>、妄想<ドリーム>、追想<ドリーム>、空想<ドリーム>。人は、暗い闇の中で眠りについて夢を見る。
夜は夢を許してくれる。夜が終わるまでの間、だけ。
そして、夜の終わりとは、即ち。
「…ッわかり、ません…!」
リヒルトは、放棄を選んだ。答えを出さないという道を。
その返答に少しだけほっとする。その場しのぎにすら、ならないけれど。
「…"嘘"はとても、楽なんですけどね。」
吐くのも。完全な笑顔で装うことも。
吐かれるのも。ちゃちな欺瞞で近寄られることも。
手を、ゆっくりと離した。指先に滲む少しの涙。ここまでやっても、嗚呼、結局何も変えられはしないようだ。
夜を明けさせてしまうのは
あまりにもあまりにも"まっすぐな"、金色。

「―――"真実<コタエ>"とは時に、痛いものですね。」

蹂躙したはずのそれに、無駄な抵抗を。
赤色を滴らせても、彼は赤にはならないだろう。

fin.