蝶を逃がしたくないなら羽根を毟れと誰かが言った。
それならば、嗚呼。
羽根のないモノはどうすればいい。


きぃとかすかに鳴いた牢の格子戸に、ジュプトルはふいと顔を上げた。
金色は無感動に光るだけ。相手はわかっているからだ。
「ようやく時間か?」
「………随分とふてぶてしくなりましたねぇ。」
棘のある声で呟くのは赤い目の男。ジュプトルはその男を、ルワーレを嘲笑うように見上げてやる。
「連れていくんだろう?」
あの地下の、処刑場に。
まるで補導になれた非行少年。彼はその程度の感覚で、数多の命を奪った処刑場を認識している。
死ぬのが怖くないから、ではなく。
事実として、何度もそこから生還しているから。
「…次も生きて帰れるとお思いで?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないな。」
さらりと言う。次の言葉をルワーレは知っていた。
「俺が死んだとしても、ミズハがいる。」
…じわり、と背筋に熱が籠るのをルワーレは感じた。
ざわざわと不快にざわめくそれを、ルワーレは必死で押し殺す。
「…愚かな人ですね。ミズハなら先ほど処されましたよ。」
低い、ぞっとするほど低い声でルワーレは言う。
ジュプトルはそれを聞いて、じっとルワーレを見つめた後、かすかに息を吐いた。
「どうやら生きているみたいだな。」
「耳までおかしくなりましたか。」
「生憎まだ使えるようだ。ミズハは簡単に捕まる奴じゃない。」
それに、と。ジュプトルは改めてルワーレの瞳を見る。
「お前が、"生きている"と言っている。」
「…ッ」
背筋の熱は、焼き溶かすような不快感に膨れ上がり。
ルワーレはジュプトルの胸倉を掴んで、声を荒げた。
「―――今たまたま偶然に、生きているだけだッ!」
目一杯の怒りを込めて金色を睨しても、臆さず金色は赤色を見つめ返す。
その目には見覚えがあった。初めて会った日、この塔に捕えてきた日の目。
これから自分が死ぬというのに、なにひとつ心動かさないあの目。
あの目は嫌いだ。
あの目が嫌いだ。
自らの生死すら他人事のような、その目がその目が酷く憎い。
「…おかしいとは、思っている。」
ぽつり、ジュプトルが呟いた。
ふいに現実へ引き戻されて、思わずルワーレの手から力が抜ける。
「何を…。」
「イかれているのは、承知、ということだ。」
どさっ。両手首を拘束された身体は物のように落ちる。
彼が俯いたため、ルワーレは茶緑のポニーテールしか見えなくなった。
「やってることは要するに自殺だ。俺達の目的が叶っても死ぬし、叶わなければお前達に捕まって死ぬんだろう。生きるっていう選択肢が何ひとつない。」
そんな状況に自ら飛び込む人間を、狂人と呼ばずになんと呼ぶ。
あくまで他人事のような、口ぶり。ルワーレはぎりっと拳を握った。
「でも、駄目なんだ。」
ぽつり。さらに小さな、儚い声。
「駄目だと、思い知って、しまった。」
かたっ…。地に投げ出された靴が、かすかに音をたてた。

「このまま、生きていくことが、俺にはできない。」

…息が止まったのは、赤い目の男。
数瞬後、そんな自分に苛立つようにぎりっと歯を噛み、ルワーレは思いっきりジュプトルの右頬を殴った。
「…何が、何ができないだ…ッ」
幾度、幾度、幾度、殴りつけても。
「お前達はどうして、どうして、如何して…ッ!!」
やがてその手を止めたルワーレは、だんっと壁に拳を叩きつける。
その音に集まってきたヤミラミ達を、一瞥だけして荒く命じた。
「―――連れていきなさいッ!」
ヤミラミ達が牢を立ち去って、牢の中には誰もいなくなり。
ただ一人、ルワーレだけが、無人の牢の中で立ち尽くす。
服の影へと無音で手を伸ばす。取りだされたのは鈍く光る短刀。隠し持っていた短刀。
牢に捕えた彼と面会する時は
いつも、いつも、隠し持ってくる短刀。
蝶を逃がしたくないなら羽根を毟れ。
もしくは針を突き立て、標本箱に。
だけど未だ刃は、銀色のまま。
嗚呼、きっと、今宵も蝶は逃げていく。




水面に映った


(生に怯える彼、死に怯える私。)

fin.