高く結った茶緑の髪が、目の前を通り過ぎた。

「…え。」
気のせいか、と思うくらいに自然すぎた一瞬。見間違いだと言われたら素直に納得したに違いない。
だが過ぎて行った方向にもう一度目をやれば。
今度こそ気のせいでも見間違いでもなかった。まだ年若い青年の後姿が、雑踏にまぎれて歩いている。
茶緑の、高く結ったポニーテール。
その色。その背格好。相違、ない。
「…あっ、ちょっとルワーレさんッ!?」
最早、探検家なんて仮面に用はない。
ルワーレは依頼報酬の相談も投げ捨て、全速力で駈けて行った。



(…くっ、速いですね…。)
念力による空中移動も併用しながら追っているというのに、対象との距離はちっとも縮まらなかった。
かなしばりもあやしいひかりもまだ距離がありすぎて届かない。くろいまなざしも相手の目を見なくては意味がない。
そのどれもが、彼を塔から逃がさぬために使ったことのある手法。
まさか、効かなくなる日が来るとはね。燻る焦燥、苛立ち、そして…高揚。
日が、だいぶ傾いてきていた。最初は朱を帯びた水色だった空も、今は焦げていくような暗い赤。地平から遠いところは、もう紺色に染まっていることだろう。
徐々に、光から闇へと手渡されていく空。
日没、というのだったか。…この時間帯は、嫌いだ。


「…光なんて、イラナイモノを見せるダケなのに?」


「…!?」
思わず、足を止めて背後を振り向いた。背後には濃い影を落とした地面がぽかりとあるだけ。
しばしその場所を凝視した後、はっと思いだしてまたルワーレは駆け出した。
(…見失って、しまう。)
今は、彼を捕えなければ。
縮まらない距離。淡々と聞こえる足音。逃げていく足音と、追っていく足音と。
先にいる彼が路地を曲がれば、ルワーレも同じく路地を曲がる。その繰り返し。此処は今、何処だろう。
縮まらない距離。縮まらない距離。未だ、手を伸ばしても届かない距離。
視界から消えるか消えないかのところを走り続ける彼。それが一層ルワーレを焦らせる。焦りは視界を、狭めていく。
そう。本当はその姿すべてなど捉えきれてない。
あの茶緑の
ポニーテールだけを、わずかに捉えて。

そして。
足を、止めた。

止めたかったんじゃない。止まった、のだ。
「…?」
立ち止まった自分に、首をひねる。上下左右、黒一色で塗りつぶされた、夜の色ですらないこの場所で。
静止してしまいそうな思考が、最後に呟いた。
此処は今、
何処?

「…ッ!?」
空気が、急に変質した。冷たく湿った質感のある寒さ。殺気とも波動とも異なる。感じたことのないそれに背筋が総毛立つ。
「…ネェ?だから言ったデショ?」
どこからか音声が染みだしてきた。声、とは素直に呼びづらい。まるで機械かなにかで作られたような、
少年の音声。


「光ナンテ、イラナイモノヲ見セテ惑ワセルダケ。」


目の前に、リヒルトの後姿が立っていた。
黒い背景にぽつりと在るそれが、こちらへと振り向く。
髪が、じわじわと変色を起こしていた。よく見ればスカーフも、足も、指先も。
髪が揺れて、肩が反転して、こちらを向い、て。





ブ ラ ッ ク ア ウ ト


チェック、メイト。

fin.