(あれ、ヒカトだ。)
空いた2講で購買に買い物にきたミズハは、かごを持ってうろうろしているヒカトの後姿を見つけた。
そのかごの中にはやたらとお菓子(しかも普段食べないような甘いものばかりだ)がつまっていて珍しいなと思ったけれど、自分に甘い幼馴染のことだ。部室に連行すれば分けてくれるに違いない。
同じく菓子を買おうと思っていた財布をミズハはしまった。
小さな打算ににーっと笑いながら、その肩を叩いて声をかける。
「おはよーヒカト。髪染めた?」
…そう。その彼の髪は紫色だったのである。



「先輩、おはようございまーす。」
「あぁ、おはようミズハ。と…。」
部室を訪れた二人を見て、きょとんとしながらリヒルトは言った。
「…おはよう沖屋。派手に染めたな。」
「……ここの人ってぇ、みぃんなバカ?」
どこの誰がこんなけったいな紫色に染めて赤いカラコンまで入れるというのか。ヒカトと勘違いされた青年は率直に呆れる。
その場にいた二人は、バカと言われたことよりその声の高さに仰天した。なんだ今の。ヘリウムガスでも吸ったような声だったぞ。
「けたたた、ハジメマシテぇ。ボクはヒカトじゃなくてぇ、アノニマス。名前も姿も持たない"名無し<アノニマス>"。ヨロシクねぇーv」
子どものように甲高く、けらけら笑いながら自己紹介をした仮称"アノニマス"。
ぽかーんとした二人は無言で顔を見合わせて、どう解釈したものかと困り果ててしまった。
「…沖屋の…双子か何か、か?」
「え゛、私長く友達やってますけどそんな話聞いたことありませんよ。ヒカトにはホノカちゃんっていう妹さんしかいないはず…。」
「しかしなぁ…瓜二つだぞこいつ…。何言ってるのかさっぱりだが…。」
「です、よねぇ…。」
額をつきあわせて考えても余所の家の事情などわかるはずもなく。
とりあえず"ヒカトにそっくりなアノニマスっていう子"というアバウトーな定義で二人は片付けることにした。
「ところでその袋は?」
「あぁこれ、購買でアノ君が買ってたんですよー。」
「うん、ヒカトのカードで買ったーvv」
がさっとひっくり返したビニール袋から、大量にあふれ出るお菓子お菓子お菓子。箱に入ったチョコやプレッツェルから、ちょっと割高なゼリーやプリンまで。
「すごい量だな…。というかアノニマス、カードってまさかクレジッ…」
「けったたーvvよくわかんなーいv」
どう見積もっても安くは済まない山。…南無三、沖屋。
「ヒカトが最近あまぁいの食べさせてくれないから、おかいものしてみたのー。これ、あまぁいんでしょー?」
「うんうんあまいよー、んでアノ君それ分けてくれるんだよね?ね?」
「おいおいミズハ、それ沖屋の金じゃ…。」
「先輩、先輩。」
つんつんとミズハが指さした先はシェフプロデュースの少し高価なプリン。…あからさまにリヒルトの動きが止まる。
「んんー、食べたいのぉー?じゃーあねー…。」
指を顎に当てて可愛らしくかしげた後、にぱっと笑ってアノニマスは言った。
「どれがあまくてオイシイのか、ボクに教えてくれるならイイヨv」
…ぎらっ。金と橙が輝いた。
此処の購買のお菓子で食べたことのないものなど、この二人に存在しない。

…お昼休みになった頃、ようやく本物のヒカトが現れた。
「おーはよーミズハ、またカップ麺食べたりして…なあああああああああああああああッッ!?!?!?」
何も知らないまま部室に来たヒカトは思いっきり叫んだ。
狭い部室を埋め尽くすように散らかった菓子類のゴミ。その中心であれこれ食べているミズハとリヒルト、そして此処にいるはずのないアノニマスを目にして。
「アノ君これはどう?チョコを挟んだクッキーがチョココーティングされてるの。とっても甘いよー。」
「なっちょっミズハちょっと何やって…ッ」
「アノニマス、これはどうだ?焼きプリンだけど値段の割に大きいし他のよりダントツで甘いぞ。」
「ちょおおお草蜥蜴てめぇまで何やってんだあああああッッ!!」
その声でようやくミズハとリヒルトが振り向いた。
「あ、おはよー本物のヒカト。」
「おはよう本物の沖屋。」
「余計な接頭語をつけるなッ!まるでそこの葡萄ゼリーと僕が区別つかないみたいじゃないかッ!」
…二人の肩がぎくっと揺れたが、ヒカトは気づかなかった。
「あ、ヒカトーvヒカトだーv」
「ヒカトだー、じゃねぇよッッ!!」
そうだった、ド天然×2を相手にしてる場合じゃなかった。ざかざかとごみの海を蹴散らしてヒカトはアノニマスの胸倉を掴む。
「だっから言ったよね僕、学校来るんじゃねぇって何度も何度も何っっっ度も言ったよなぁああッ!?」
「だってー、最近ヒカトがあそんでくれないからおなかすいたぁー。あまぁいモノ食べたかったのぉーv」
「それでこの有様かッ!!菓子なんか喰える訳ないくせにこのゲル生物ッ!」
「お、落ち着いてヒカト…訳ありみたいだけど家族をいじめるのはよくないよ…!」
「事情持ちみたいだが…何も双子を自宅に軟禁しなくたっていいんじゃないか…?」
「あああああそしてやっぱりアンタらは勘違いしてるしいいいいいいッッ!!!」
騒然とする部室の中、同じくお昼を食べようとジュジュがやってきた。
「あらあら今日もにぎやかで…秤ス事ですのおおおおおおおおおおおおッッ!?!?!?」
そしてヒカト同様叫び声を上げる。しかしジュジュが叫んだのはアノニマスの存在でも騒がしい部員3人でもない、部屋中にとっ散らかった菓子のゴミだ。
こんな量を喰う輩は一人しか知らない。ジュジュは迷わずリヒルトへと掴みかかった。
「先ッッ輩!!!あれ程菓子ゴミ散らかすなと申し上げましたでしょうがこの末期糖分中毒廃人ッッ!!!10個以上の菓子を同時に食べないでくださいまし部室を掃除するのわたくしですのよッ!?」
「ひッ!?すすすすまない今から掃除するから、というかそれ俺の形容詞じゃないような…ッ」
「イヴァン先輩とマイヨール先生、どっちに引き渡して欲しいかお選びなさいッ!!」
「ごめんなさいッッ!!!以後自重します申し訳ありませんでしたそれだけは勘弁してくださいッッ!!!」
ぎゃーすかぎゃーすか、部室は騒がしくなる一方。
その中でぽつんと残されていたアノニマスが、ぼそりと呟いた。
「……うーん、どれもあまくなぁい。」
人間じゃないアノニマスが人間の菓子を食べても、彼の求める甘さは満たされない。
アノニマスの求める甘いモノとは、即ち。
「…ねぇねぇ。キミって、ミズハ、ってナマエだよねぇ?」
「え?あ、うんそうだよ。」
「けたた。ミズハってぇ、ヒカトのスキなヒトでしょお?」
え、とミズハがあっけに取られてる間に
アノニマスは返事も待たず、立ちあがってにぃっと笑った。
「ヒカトのスキなヒトならぁ…きっととぉーってもあまぁいよねぇ?v」
アノニマスはミズハへと両腕を伸ばした。ちょうど抱きしめるような格好にも似て。
指先から肘に至るまでを、どろりと紫色に溶解させながら。
「…きゃうッ?」
が、それは叶わなかった。後ろから強くぶん殴られて転んでしまったからである。
いたぁいと呟きながら後ろを振り向くと、拳を構えたヒカトと竹刀を構えたリヒルトが恐ろしい形相で見降ろしていた。
「葡萄ゼリー…いっちばんやっちゃいけないことやったね…?」
「会って間もない女性にそんな行為はどうかと思うんだがな…。」
擬音はもちろん、『ゴゴゴゴゴゴゴ』。
そんな二人をアノニマスはむぅっと見上げて、やがてにっこり笑った。
「…わかったー。じゃ、ヒカトとリヒルトをちょーうだい?v」
…しゅる、しゅるるるっ
二人が背後の状況に気づくのは、あと1秒後。


ネへレスコール・パラダイス


(おっと先生、今は学者兄さんに逢わない方が身の為さ…。)
(……え、何故です?)

fin.