「君にはヴェレーノ軍を潰してもらいたい。」
酒場の騒がしい空気の中で、紛れるようにして依頼人は言った。安エールのグラスを持ちあげ、頬杖をつきながらラグナは笑む。
「ヴェレーノってアレだろ?東の方のしょっぼい小国じゃん。あんなとこ潰してどうしようってーの?」
「残念ながらそれは話せないな。」
「はーん?秘密ゴトは仕事に響いちゃうぜぇ、オッサン?」
「…やれやれ。かいつまんで話せば、伸びてきた杭は打っておけという話だ。あの国が最近力をつけ始めてるのは知っているだろう?」
「まァな。この辺の連中にも妙にいいギャラ払ってるみてーだしなァ。」
一口啜ったエールの味が実はあまりよくわからない。それより目の前の依頼からうまそうな匂いがぷんぷんしていたからだ。軍潰し。久々のデカい依頼だ。盗賊共やゴロツキを潰すのとは訳が違う。派手で、大人数で、武器や飛び道具も上物だ。
その中心に突っ込んで阿鼻叫喚の大騒ぎ…考えただけでぞくぞくした。適当なノリで話してはいるが本当は相手の思惑なんてどうでもいい。たちこめる硝煙を胸いっぱい吸い込めれば、ギリギリで相手をかわしながら銃をぶちかますそのスリルが味わえれば、その背景なんてどうでもいいじゃないか。
残ったエールを一気に煽り、ラグナはグラスを乱暴に置いた。
「いいぜ、その依頼受けた。」



ラグナは面白そうな依頼ならなんでも受ける。どこの味方もするしどこの味方もしない。昨日受けた依頼人の組織を、明日の依頼で潰すなんてザラだ。
罪悪感?後腐れ?知ったことじゃ無い。楽しい殺し合いがしたい。それだけだ。
それ以外はどうでもいいじゃねェか。

どうでもよかった "それ以外"が。
ある日、鉄枷という形を取って、ラグナの首と手首を絞めた。

「ヴェレーノでテロだそうだぞ」
「オルデン帝国との同盟締結の日に」
「よくあの厳戒態勢に突っ込んだな」
「革命の狼煙気取りだったんだろうよ」
「反帝国派か」
「主犯は若い男だそうで」

蠢く言葉の群れ。ラグナにはちっともわからない。反帝国派?革命家?誰だ、そいつ。
ひとつだけわかるのは。
処刑人をとりまく見物人の中で、依頼人の男が、冷たく笑って立っていた。

頭が真っ白になってる間に、時間は矢のように過ぎていく。
気がつけばオルデン帝国の牢の中。
そして、いつのまにか処刑が決まりその当日になっていた。

処刑の場所は首都オルデンに隣する大きな湖。
多くの国民がとりまいて見物する中、ラグナは兵士達に狭い鉄籠へと入れられた。両手首は勿論後ろ手に拘束されて。
帝国に仇なす大罪人は、衆目の中湖に沈めよ。
それがオルデン帝国の伝統だった。

宙吊られた鉄籠は、ぎちぎちと鎖を鳴らしながら高度を下げる。
酷いざわめきと歓声と罵声の中、湖水へと、沈んでいった。

死ぬ、のか?

今更、本当に今更、ラグナは実感した。
濁った冷たい水が少しずつ、少しずつ、真っ暗な水底へと自分を呑み込んでいる。それをまじまじと見つめさせられながら逃げることができない、恐怖。がちがちっ、と歯が鳴った。
死ぬとしたら戦闘中だろうと思っていた。それならいいやと思ってた。最高に幸せな瞬間に果てるなら本望だと。
嘘だろ。こんな死に方、あるのかよ。
湖水はあっというまに喉元まで浸していて。上げかけた叫びすらも湖に、呑み込まれた。




…ごぼごぼと泡が口から抜けていく。
たいした量のないその泡は、あっというまに尽きてしまった。刺さるような肺の痛みは重い痛みへと変わっていき、そして、意識が遠のいた。
無限と思えるほどだだ広く深い、暗緑色の湖の中。
鉄籠はラグナを乗せて、まるで塵のように沈んでいく。

死ぬ、のか。

こんなつまんねぇ形で、死ぬのか。
今更自分の無知を呪っても。世の中の狡猾さを呪っても。
死が迫る。死に浸る。死が体内を、浸していく。

嫌だ。
と今更思っても遅いけど。
嫌だ。死にたくない。俺は、俺はこんなところで。死にたくない。


「なんじゃ、其処で終わってしまうのか。」


…そんな折だった。ほとんど消えかけていた意識に、声が届いたのは。
「役目は終わっておらんというのに。」
「歴史の流れが乱れてしまうではないか。」
「はて、こやつの穴を埋められる奴はおったかの。」
幻聴か、と思ったがどうも違うらしい。
そいつは返事もできないラグナを差し置き、好き勝手なことをしゃべくっていた。
(なんだこいつ…。)
てめぇまで俺をゴミ扱いかよ。霞んでいた意識が、怒りでわずかにはっきりする。
「…な奴いねぇよ…。」
最期の気力で唇を動かす。ごぼり、わずかに残っていた泡に乗せて。
「俺様を…代われる奴なんてよ…。」
そうだ。俺様は、ラグナ様だ。こんなつまんねぇ死に方は似あわねぇし、俺の代わりが務まる奴なんざ、いるもんか。
だからよォ。言葉を乗せた泡が、水面へと遠ざかった。
もうちっと、生きさせろってんだよ…。

「…ふむ。言うのぅ、童。」

声が返事をした、その時だった。
無表情に呑みこむばかりだった湖水が、ざぁ、と渦巻き始めたのは。
ラグナを中心とする渦は段々とスピードを増す。みるみるうちに意識がはっきりしてきた。そして驚く。息が、できる?
目の前の鉄籠が青緑の光に包まれた。ぱきぱき、音をたててひび割れる。後ろ手の枷からも同じ音が聞こえていた。
そして、
さっきの声がひどくはっきりと、頭に響く。


「ならば機会をやろう。あがいてみせろ。」




…ッざばぁんっ!
突然湖水から水しぶきがあがり、観衆が一瞬絶句する。そして、絶叫した。

よもや死刑囚が湖中から蘇るとは思わなかったろう。

光に包まれて浮いていたラグナは、水面に降り立つ。床みたいにこつんと降り立つことができた。
ぐっぱ、と動かしてみた両手に光が集まり、銃が現れた。没収されていた愛銃だ。
『あがいてみせろ。』
その言葉を思い出すと同時に、向けられた銃口の群れ。
…上等だ。瞳孔を開きにしゃあと笑い、ラグナは勢いよく駆け出した。

人体という人体を爆発させ。
死体という死体を踏みつけて。
絶叫という絶叫に耳を浸して。
兵士も見物人も通りすがりも一切合切見境なく。
撃って飛んで回って蹴って殴って撃ってまた撃って撃って撃って。
断末魔の叫びさえ霞むほどの哄笑を響かせた。
嗚呼、こうでなくちゃ。
溢れるアドレナリンに身を任せて思う。
俺はこうでなくちゃ。あんな死に方は似あわねぇ。
最期まで暴れて暴れて暴れ狂うのが、俺様だ。ラグナ様だ。

ぱぁんと最後の銃弾が破裂し、静かにフェードアウトしていく。
気づけば一切の音は死に絶えていた。香ばしい硝煙と舌でとろけそうな血の匂いが、濃厚に漂うだけだった。地面は血と泥と臓物に埋まっている。
「見事じゃの。」
無遠慮に割り入った声があった。それは聞き覚えのある声。振り向いたラグナは目を瞠る。
湖から水が浮きあがっていたからだ。空中に一抱え程集まった水の塊は、ぐにぐにと動いて人型を取る。そこに色がつくと、目を閉じた人間そのものとなった。
其処に浮いていたのは一人の少女だった。
閉じた目を開くと、散々見させられた湖水と同じ色の瞳。
「…お前はさっきの訳わかんねー奴。」
「礼儀と頭がなっとらんのう。わしはユヤンじゃ。最近はそう呼ぶ者もいなくなったが。」
死刑が始まって以来、ユヤン湖の名はすっかり忌み言葉よ。
ここまでの奇妙な出来事と、その一言で妙に合点がいった。このガキは湖、なんだな。俺が沈んだ湖そのものなんだろう。多分。
「それにしても、死ぬところじゃったの。」
さらっと言われた一言で、息が詰まる。
ユヤンは無感情な目でラグナを見た。その色も光も湖面そのもので、ラグナはぞっと粟立った。
「死が怖いか?」
「…。…っせェな…怖ぇよ。」
「素直じゃの。」
「イキがっても意味ねーだろ。…マジで死ぬ、って初めて思ったわ。」
一暴れして高揚した身体が、湖水の冷たさを思い出した。
あんな冷たくて訳わかんないのはもう勘弁だ。怖かった。訳がわからなかった。訳がわからないまま生きられなくなるなんてぞっとする。
「…うん、やべェな。」
かたっ。不覚にも身体が震えた。

「…そう、ぬしには知が足りぬ。」
笑わず憐れまず、ユヤンは淡々と言った。
「故に他と比べて圧倒的に不安定じゃ。いつ死んでもおかしくない。じゃが、死なせる訳にはまだいかんのう。」
目を瞠ったのはむしろラグナの方だった。
「ぬしはまだ歴史に果たす役目を果たし終えておらん。その役目はぬしにしかできんものじゃ。代わりが現れるまで数百年遅れが出てしまう。」
「あんた…何言ってんだ?」
「ぬしは歴史に必要で、故にぬしを生かす手伝いをしてやろうと言っておるのじゃ。」
湖に浮いていたユヤンが、浮いたままラグナへと近づいてくる。
小さな手をラグナの額に当てた。

瞬間、ラグナの脳裏を無数の映像が駆け巡る。

「…!?」
黒い空間を背景に何百何万何億と、洪水のように流れる映像達。
どれもこれもラグナを映した映像だ。
見覚えのあるものからないものまであった。コロシアム時代の映像から、見知らぬ子どもや男と共にいる映像まで。
「わしは未来が視える者じゃ。」
映像の洪水の中で、厳かにユヤンが浮いている。手を離すと映像群はふっと消えた。
「その知をぬしに貸そう。ぬしと共に行き、避けるべき地雷を視てやろう。」
「…はぁ!?なんだそれつまりお前がついてくるってことかよ!?要らねぇよ!」
「選択権はない。それが歴史にとって最適じゃ。」
「いや意味わかんねーし!」
なんだこいつは好き勝手なことをべらべらと。死にたくないのは確かだがそれとこれとは全くの別物だ。ガキのお守りなんてごめんだ!
「ふざけんなクソガキ!ついてきたらブッ殺すかんな!」
「その地点からぬしは踵を返して走ろうと思ってるだろうが、」
「あ゛!?」
「やめた方がよい。爆発しそびれた手榴弾で足が飛ぶぞ。」
このガキいい加減に、と言いかけたところでかっと背後が光る。
振り向いた瞬間どんっと爆音が轟き、煙がもうもう上がっていた。かなり広範囲の石畳を吹っ飛ばしている。

「……。」
「さて、ゆくぞラグナ。ペスカトーレへ向かおう。」
「ちょっ…待て誰がついてきていいと…クソガキ話聞けやァアッ!!」





ロフェシー・ンタクト


(今思い出しても滅茶苦茶すぎんだろお前…。)
(どこがじゃ?)
(言った俺が馬鹿だった。)

fin.


***

国の名前はネーミング辞典をばっと開いて目についた単語選びました((
そういえばこれもネーミング辞典様様なのですが、『預言』を中国語で『ユヤン』と言うそうです。