殺気がその肌を奔ったら。さぁ、ゲーム開始。


…ざざざざざざざッ!
石のように暗い色をした、冷たい木々の葉が鋭くざわめく。たっと軽い音が飛び立った。音は枝から枝へ、飛んでいく。
がさっと最後に短い音を立て、影は樹海を突き破った。
黒い森から飛びだしてきたのは、風のように疾る一匹のジュプトル。
それに続いて次々と飛び出してきた小さな影があった。百も承知なジュプトルは一瞬たりともスピードを緩めようとはしない。
それでも、影達はぴたりとつかず離れず追ってきた。
黒というより、濃い紫の影。6匹のヤミラミが、彼を追っていた。
「…ッち…。」
思わずジュプトルは舌うちをした。全速力で走っているのに微塵も引き離せないヤミラミ達。機械のような彼らに体力なんて存在しない。追いつかれるのは時間の問題だ。
屋外でひかりのたまは目くらましにならない。己の技も6匹同時に、しかもゴーストタイプを相手にできるようなものはなく。
だが、技が効かなくてもできることはある。ジュプトルは腰のベルトから取り出したものを、ヤミラミ達に投げつけた。
「ウィイッ!?」
不意に目に当たった固い衝撃に慌てるヤミラミ達。
それはてつのトゲだった。この暗い世界によく溶け込む、黒い色をした飛び道具。
しかしヤミラミ達にはあまり効かなかったようだった。見失ってしまったジュプトルを探すべく、宝石の目で油断なくあたりを見回す。
足は止まっていた。狭い区画の真ん中で。
それこそ、ジュプトルの、狙い。
「俺は此処だ。」
ジュプトルは飛び降りた。
互いに背を預けているヤミラミ達の、その中心へ。
「ッ!?」
ヤミラミ達が気づいた時にはもう遅く、ジュプトルはその手に握る道具を地面に叩きつける。

"てきおびえだま"。
瞬間、感情がないはずのヤミラミ達を血も凍るような恐怖が支配した。

「ウィィイイイイイィィイイイイイィイイイイッッッ!!!!!」
引き裂かれる蝙蝠のような叫び声。
それが壁に跳ね返る頃には、6匹の影は跡形もなく逃げ去っていた。
これでしばらくは追ってくることもないだろう。彼らが正気に戻る前に…この場を去らなくては。
「………。」
…しかし。ジュプトルは走り出さずに佇んでいた。冷え切った空気にびりびりと痺れる肌。
追ってきたのは本当に、ヤミラミ達だけなのか?
嫌というほど識っている、その統括者。その影が潜んでいないかと、ジュプトルは気を張り巡らせる。

「……此方ですよ。」
その声と、空気が沈みこむような悪寒は、ほぼ同時だった。

「ッ!!!」
すぐさま"でんこうせっか"で距離を取った。足がびりびりと痺れる。重い気がするのは不意をつかれたせいか。
いいや、不意などつかれていない。警戒していた通りの男を、金の目はぎっと睨み据えた。
暗闇からゆるやかに姿を現す、ヨノワール族・ルワーレ。
先程まで姿が見えなかった理由は、彼が捨てたただのタネが説明した。ドロンのタネ、か…失念していた自分にジュプトルは歯噛みした。
「ふしぎだま如きに追い払われるとは…全く。よく教育しておかねばいけませんね。」
「…はっ。ご多忙のようだな。もたもたしてると教育する前に逃げられるんじゃないのか。」
「ご心配なく、すぐに捕えて躾け直しますから。…貴方も、ね。」
動いた、と思った時にはもう喉元に腕がきていた。
紙一重でかわすジュプトル。返しに放った"おいうち"はかわされ、腹部に鈍く響く衝撃。"シャドーパンチ"は、避けられない。口端から血を流しながらも、ジュプトルはにやりと笑んだ。
狙うのは、その次。手が"ナイトヘッド"の構えを取ったそのスキに、ジュプトルは姿を消した。
"こうそくいどう"で駆けたその先はルワーレの背後。
だがジュプトルはそこで背後を斬るでもなく、そのまま疾走して逃げるでもなく。

"もうげきのタネ"を、かじった。
攻撃能力を限界まで高めてくれるドーピング剤。金の瞳は濃さを増し、抜かれた剣が鋭さを増す。

「…ほう?どうやら今日は本気のようですね。」
いつもは野兎のように無様に逃げ回ってくださるのに。くすくすと暗欝に笑うルワーレにも、ジュプトルは全く動じなかった。
「遅かれ早かれ、倒さねばならん相手だ。物事を先延ばしにするのは好きじゃない。」
「それで今、倒すと?最も、お望みの結果になるかはわかりませんが。」
「倒す。」
地に下ろしていた切っ先を、ルワーレへ構えてジュプトルは言った。
「貴様は倒す。そして俺はミズハと…この世界を変える。」
…刃風が、吹く。
恐ろしい速さで間合いを詰めながら、銀の刃が襲いかかった。
後ろに飛ぶルワーレとそれを追うジュプトル。乱れ舞う刃のほとんどは当たらず地面をえぐるばかり。これは"れんぞくぎり"ではなく"リーフブレード"の猛攻。失われるPPも尋常ではない。
けれども、そのたび刃から舞う深緑の葉。
風に舞い、しなやかに敵を追う小さな刃は、剣を振るう度に増えていく。
ついにその肩は刃を喰らい、赤い赤い血が弾け飛んで。
思わず押さえた肩。迫る金。迫る殺意。驚愕に揺れた赤い瞳は、それを恥じるように憎悪に燃えた。
「…ッ小賢しいっ!!」
空いた片腕に灯る紫の光。"うらみ"の光はジュプトルへとまとわりつき。
がくんと力を失った腕にジュプトルは目を瞠った。バランスを崩して、膝をつく。そのスキを逃さず、ルワーレは冷気を纏った拳を振り降ろす。
使えなくなった剣でそれをかろうじて受けた。
剣を持つ手が悲鳴をあげる。無茶な猛攻と苦手な氷技。限界なのは、目に見えているのに。
金の目は翳ることなく光り、光り。
刃よりも鋭いその光は、ルワーレの知らない、知りたくない、色だった。
「…っは…自殺志願者の分際で、まだそんな目をしますか。」
圧しているのは、自分なのに。嘲笑わなければ、気押されてしまいそうだった。
「世界を救う英雄にでもなったおつもりですか?…馬鹿馬鹿しい。貴方は多くの命を破滅を導いてるだけだ…あの日のように、ね。」
もしかして、忘れてしまいました?赤い赤い瞳が暗く笑む。
どくん、初めて金の瞳が揺らぎを見せた。
蘇りそうになる、鮮やかな赤の記憶。けれど今狼狽している場合ではなくて。
歯を軋ませて堪え切った。忘れる訳がない。忘れる瞬間などない。

けど。
否。
だからこそ。

「…"メガ"…」
かすれた呟きと、共に。剣が、薄く光り出した。
「…ッ"ドレイン"!!」

一瞬で全身が、ひどい脱力感に食いつくされた。
まるで血のように、ルワーレの身体から緑の光が溢れ零れる。低い呻きと苦しげな息。ついに彼は、その膝をついた。
逆にその光を吸収したジュプトルは、凛と立てる程に回復していて。
形勢逆転、だった。
再び光を取り戻した刃が、静かにルワーレの首へと添えられる。
「…俺には…。」
すぐさま斬らず、口を開いた彼に驚いて。ルワーレは思わずジュプトルを見やる。
見下ろしている彼の目は、ひどく精神を削り取られたような色をしていた。
「俺には死ぬ資格も、生きる資格もない。」

生きているだけで、多くの命を散らしてしまった命。
多くの命と引き換えに、生きながらえてしまった命。
英雄なんて。自殺志願なんて。そんな格好のいい単語など考えたこともない。
泥にまみれた蜥蜴には、こっちの方がお似合いだ。

「俺はただ、願い<エゴ>の為に戦う、"悪"だ。」

気づけば、黒い空から雨が降っていた。ぼろぼろと打ちつける冷たい雨が、双方の頬を濡らす。
冷たい。冷たい。ひどく、冷たい。滑りそうになっていた剣を、力を込めて握りしめた。
目の前の男が、似た苦しみにもがく同類だと知っていても。
摩耗していた瞳は冷徹な光を取り戻し、刃を、振り上げた。
その時。
「……ッ!?」
心臓を、わしづかみにされるような酷い激痛。それがジュプトルを襲った。
剣は手から落ち、呼吸すらもままならなくなって。ジュプトルは胸を押さえ、水びたしになっていた地面に崩れ落ちた。
それを見ていたルワーレは最初こそ驚くも、やがてなにか納得したように、どこか寂しげに彼を見て。
重い身体をなんとか立たせながら、苦しむ彼を見降ろした。
「…ようやく効いてきたみたいですね…"のろい"。」
己の体力の半分と引き換えに、相手へ呪詛を与える技。
たった一度のメガドレインで、膝をついてしまったのはその為。かなり前半でかけておいたはずなのだが、今更になって効いてきたらしい。
それとも、呪詛を感じない程だった殺気が、削がれてしまっていたのか。
…詰めが、甘いんじゃありません?いきがっていても結局は手ぬるく甘い学者青年。そんな彼と、先程見せた目の色を交互に思い浮かべて、苦い苦い微笑が思わず零れた。
「…嫌な、末路ですね。お互い。」
…そして、貴女もね。聞こえるように呟けば目の前の空気が微かに揺れた。
見えなくたって気配でわかる。同じくドロンのタネで姿を消して、伏したジュプトルを"まも"っている小さなミズゴロウ。
「…雨に水タイプでは負が悪すぎます。今日のところは引いておきますよ。」
くるり、ルワーレはあっさり背を向けた。そのままゆっくり歩いて帰路に着く。段々雨も止みそうな雰囲気だが、もうどうでもよかった。今日は、疲れすぎた。

それでも追うことはやめないだろう。それが"私"だから。
それでも逃げることはやめないだろう。それが"彼"だから。
その間に挟まる"彼女"という駒は
何をやめられずに、生きているのか。

「……ああ、本当に嫌になりますね。」
久々にこの世界を、鬱陶しいと思った。





のビショップと のナイト


(駒がかき抱く痛みなど、棋士にはどうでもいいのでしょう。)

fin.