「…おい…おいアンタ…おいってば…!」

その声で飛んでいた意識が、ジュプトルの身体に戻った。
がくがく身体を揺さぶられてることにようやく気付く。
いつのまにか閉じていた瞼を開くと、氷がぱりぱり剥がれる感触がした。
まだぼんやりとしか見えない人影が、息を吐く。
「あぁよかった、なんとか生きてたみたいだね。おいアンタ、こんなとこで野たれ死ぬのは勘弁してくれよ。寝ざめが悪いったらありゃしない。」
吹雪越しに見えたのは、茶色いローブをすっぽり被った幼い子どもだった。サイズが大きすぎるローブのせいで、子どもの容姿はほとんどわからない。
…吹雪?そこでようやく彼は此処が吹きすさぶ雪原である事を思い出す。
そうだ。此処は北の地方。集落からは遠く離れた岩山と雪ばかりの土地。この地方にある古代遺跡の調査と地図製作を命じられて、ジュプトルは此処まできたのだった。
「ったく。寒さに弱いくせにこんなとこまで薄着でのこのこやってきたのかい?」
唐突にぐいっと腕を引かれた。それで上体が起きる。
子どもが軽く睨んできた。深く被ったフードで影になってるが、黄色くてよく光る目だ。
「とにかく起きたんだろう?お兄さん。あたしは見ての通りアンタを運ぶなんて無理なんだから、起きたんならそこまで歩いておくれ。」
そこ、と言って子どもが指さすのはそびえたつ岩壁。
ふらりと立ちあがったジュプトルが首を傾げると、またもぐいっと引っ張られた。
「そこだよ、そこ。見えるだろう?」
指さす先をよーく見てみると、小さな穴があいている。
「あすこがあたしの家だ。おいで、行き倒れ。火にぐらいあたらせてやるからさ。」


入口を通るのに苦労した。本当に子どもが行き来できる程度の大きさしかない。
けれど入ってみると意外と広く、そして温かかった。子どもは火の消えた焚火を寄せ集め直し、慣れた手つきで火を灯す。
子どもは…話しぶりや声からするに少女だろう。こんなところで一人住んでるのだろうか。食糧すらままならなさそうな土地で。
棒立ちしているジュプトルに、少女は座りなよ、と火の傍を勧める。
「何もない家で悪いね。とりあえずその身体あっためたらどうだい。」
そう言いながらも、焼いた木の実を分けてくれた。
火の傍は本当に温かくて、凍っていた身体が元通り柔らかくなっていく。今更ながら凍死寸前だったんじゃないか、と実感してぞっとした。
「あー、あったかい…。」
思わず口に出すと、少女がぷっと噴いた。
「そりゃそうだろうさ。あんな猛吹雪じゃ。…アンタどこから来たんだい?」
「え…っと。南の方から。」
まさか次元の塔から来たって言う訳にはいかないし。ジュプトルが曖昧にぼかすと、ますます少女が噴き出した。
「南ってアンタ、こんな北の外れだもの皆南から来るさね。」
「あ゛…そ、そういえばそうか。」
「ったく阿呆なお兄さんだよ。よくそんなんで生きてこれたね。」
阿呆って酷いなぁ、と抗議すると少女はけらけら笑った。
つられてジュプトルも苦笑を返す。温かい心地がするのは焚火のせいだけじゃないだろう。誰かとこんな他愛なく話したのは、本当に久しぶりだ。
「…お前は此処に住んでるのか?」
最初に感じた疑問を少女に問う。
少女はに、と笑った。話し方もそうだが、笑み方も大人びた少女だ。
「ああ。見ての通り親も身寄りもない。あたしもね、アンタと同じで南から来たのさ。それからずっと住んでる。」
「こんな土地に?」
「そう。…住んでたとこを追われちまってね。あちこち彷徨ったけど、ここぐらいしか住めるとこがなかった。」
ふぅと息を吐いた少女は、世間話のように言う。


「政権軍に村を潰されちゃってね。」


…ざ、と。ジュプトルの背が粟立つ。
少女はそんな変化に気づかぬ様子で、悟った苦笑を浮かべて続けた。
「アンタ、南からきたんだっけか。南はどうだい?最近は。」
問われて、浮かぶ。命じられるまま旅した各地の景色が。
笑顔の失われた住民たち、光も火も消えた家々、いがみ合い、喧嘩、競り合い、衝突、そして、戦争。
行き場のない怒りと怒りで無益に流れていく血。
そんな惨状すらまだ幸せな方で。
…一晩とたたないうちに、政権軍が全て更地に変えるのだ。
「……酷い、ものだよ。」
その手助けをしているのは自分の両手。
それを虚ろに見下ろして、ジュプトルは、ぎゅっと握った。
「そうだろうね。」
少女が妙に無感情に、ぽつりと言う。
「皆、恨みや怒りでいっぱいいっぱい。仕方ない、仕方ないのさ。ぶつけなくっちゃ、生きていけない。」
フードが顔色を覆っているが、黄色い目はガラスのように光る。
「生きてくために、仕方ないのさ。」
…とてもこの年頃の少女の物言いでも態度でもない。
思わず絶句するジュプトルの前で、おもむろに少女が立ちあがる。
「おいでよ、お兄さん。面白いもの見せてやるよ。」
そう言って少女は洞窟の奥へ歩いていく。
驚きながらも、ジュプトルは慌ててついていった。

二人がいたのはほんの入り口で、洞窟は結構奥が深い。
焚火の光なんてとっくに届かなくなってたが、少女は迷わず進んでいった。真っ暗すぎて逆にジュプトルが戸惑ったぐらいだ。
「ここだよ。」
しゅっと、少女がたいまつを灯す。
突然の明るさにジュプトルは目が眩んだ。眩しさに目が慣れた頃、目を、瞠る。

目の前に、巨大な石造が立っていた。

人を模した形の大きな石造だ。頑丈な石を積んで作られていて、見れば腕も足も可動式なのがわかる。ただの石造じゃない。これは。
「…わかるかい?そう、ゴーレムさ。」
驚くジュプトルに、少女はにやにや笑った。
「昔の人が作ったっていう、でっかい機械兵。この近くにあたしの仲間が住んでるんだがね、そいつによるとこいつはまだ動くそうだよ。」
にやにや笑いが、ふいに、冷たさを帯びた。

「こいつを差し向けてやったら、ちったぁ軍の奴らも泡を噴くかね?」

ジュプトルの顔から、血の気が引いた。
「お前…本気か…!?」
「なんだい随分弱腰だね。」
「それは…!!」
少女の瞳にジュプトルは怯んだ。軍側の人間だと見抜かれたような気がして。
でも、そんなことは関係ない。少女の計画は無謀だ。無駄死にをさせたくない!
「安心しな、お兄さんを巻き込むつもりはないから。あたしらは数は少ないが一応仲間がいる。そいつらと明日、決行するつもりだったんだよ。」
「…確かにこのゴーレムはすごい。けどあの軍は、これ1体でどうにかなるような相手じゃ…!」
「…兄さん。仕方ないのさ。」
また、少女がぽつりと言った。遠い目をした笑みで。
「村を追われて、親もなくして。もうあたしの恨みもいっぱいいっぱい。」

「ぶつけなくっちゃ、生きていけない。生きてくために、仕方ないのさ。」







焚火のまきも、冷え切った頃。
ぐっすり寝ている少女の横を、音ひとつ立てずジュプトルは抜けだした。

あのゴーレムの元へと。

一度行った場所なら、暗闇でも迷わず辿りつける。ましてこんな一本道なら。
案の定容易くゴーレムの元に辿りつけた。火を灯すと少女に気づかれる。だからジュプトルは真っ暗な中で、剣を抜いた。
壊そう。このゴーレムを。
おそらく少女の対抗手段はこれひとつ。これを壊しておけば反乱軍となることもないだろう。
少女は知らない。このゴーレムを軍が知っていることを。だから自分が派遣されてきたのだ。軍のスパイである、地図書きのジュプトル。
例え自分が報告をごまかしたとしても、軍には"時の巫女"がいる。彼女がいる限り全ての作戦は筒抜ける。
少女たちに勝ち目は一切ないのだ。
だからせめて。戦わずに済んでほしい。暗闇の中で刀身が、光る。

その時。
横から何かがジュプトルへ、飛びかかってきた。

咄嗟に避けた、が、その頬が切れて血が滴る。



「無駄だよ、お兄さん。」

すぐ近くから、声がした。
しゅっと、たいまつを灯す音。明るくなった洞窟の中で、少女が笑んでいた。
右手にたいまつ。左手には、血の滴るナイフ。
少女はたいまつを壁にたてかけると、ナイフを構え直して、ふっと笑った。
「…!よした方がいい、それは勝てる計画じゃない…!」
「お兄さん。そのゴーレムはね、壊れているんだよ。」
「……え?」
絶句する、ジュプトルに。
ゆっくりと少女が、一歩踏み込む。
「壊したのさ。あたしがね。それが母さん父さんの最後の言いつけだった。近くに古代遺跡があったら、壊しておきなさいと。」
たん。地を蹴る音がした。

「アンタが来るからね。」

まっすぐ心臓に、向かってきたナイフを、紙一重でジュプトルは避けた。
動揺するジュプトルに反して、少女は残念そうな様子ひとつ見せなかった。
「…わかったかい、お兄さん。仲間がいるのは嘘。ゴーレムで明日襲撃するのも嘘。全部アンタをここに釣る嘘さ。ジュプトル。」
呼ばれた、名前。名乗ってもいない名前。ジュプトルの瞳孔が開く。
一方少女は、
苦笑を浮かべた。今まで見せたのより苦みの強い、苦笑を。
「…あーあ。」
おもむりに。フードに手を伸ばす。
「嫌だね、この呼び方は。」
フードを取った。

「胸糞悪くって、さ。」

現れたのは、緑色の長髪。
黄色だと思っていた瞳が、明かりを受けて、金色に輝いた。
ジュプトルは……今度こそ、絶句する。
「そう、正解だよお兄さん。あたしはジュプトル族の生き残り。一目でわかったよお兄さん。その髪と目を晒してちゃね。」
今はアンタがたった一人の"ジュプトル"なんだから。
少女の言葉はよく染み込み、ジュプトルの言葉を殺す。しばしの沈黙を経た後、行き場のない溜息が、少女から零れた。
「…仕方ない、仕方ないのさ。ぶつけなくっちゃ、生きていけない。」
全部わかっちゃいるのさ。少女は言う。
指示をしたのはヨノワールで、
殺したのはヤミラミだと。
アンタが悪いんじゃないことも。
アンタが悪い人じゃあ、ないことも。
「けどね。アンタが居たから、あたしの家族が死んだ。その事実だけはっきりある。」
とってもわかりやすく、ある。少女がナイフを振りあげる。
「だからあたしの恨みは、そこに向かって、突き刺すしかないのさ。」

ざ、くっ。
小さな刀身が、深くジュプトルの肩を貫いた。
今度は避けなかった。刀で防ぎもしなかった。ぐっと歯を食いしばって、少女を見つめ返すだけ。
少女は驚いて、少し目を瞠る。視線を受け止めながら、ふいに笑んだ。
「…そんな顔をしないでおくれよ。」
そういや呼ぶ名前教えてなかったっけね。そんなことを思いながら、ナイフを抜く。
「お兄さん。アンタの選択肢はたった二つだ。わかるだろ?」
少女は自分のナイフを見つめ、それからジュプトルの刀を見つめる。
ジュプトルを諭すかのようにゆっくり動いたその視線。わからない訳は、なかった。
「こいつはもう感情論じゃないんだ。イイ奴か悪い奴か、って話でもとうになくなっちまった。」
だから迷ってないで剣を取りな。少女は視線でそう伝える。
「あたしはこうしなければあたしじゃいられない。あたしが死んでしまう。だから、この恨みを表すためにアンタを殺す。あたしがあたしとして生きるために、仕方のないことなのさ。」
たいまつの火がか細くなった。もうじき薪を焼きつくしてしまうのだろう。
火はそうして、何かを食いつぶして、存在する。
「お兄さん。アンタは、」
二人それぞれ、得物を強く、握った。

「"生きる"かい?"死ぬ"かい?」







燃え尽きたたいまつは沈黙していた。
ひどく暗いが、火は灯せない。

灯し方を知っている少女が、血の海に沈んでは。

とっくのとうに暗闇になったそこで、ジュプトルは立ちつくしていた。
刀の血だってそろそろ固まっている頃だろう。
それでもジュプトルはそこから動けないでいた。
ただただ、少女を見下ろし続けていた。
「…俺は、」
闇の中でも、金の目はよく光る。ガラスのように、よく光っていた。
「死ぬべき時まで、生きるよ。」
ふいに、腕を伸ばした。少女のローブへと。

「世界が俺に、死を許してくれる日まで。」

その時になったらまた来てくれ。さっきのナイフも忘れずに。
手に取ったローブに向かって、虚ろに、呟いた。






影 踏 み


(連れて、歩く、罪の影。)

fin.


***

「ジュプトル生き残りに恨まれるリヒルト」な話のはずが生き残り少女を妙に気に入っちゃって喋らせすぎた(
自分として生き、死にたい。という彼女の本音がリヒルトにはわかってしまった。