ドアを開けたルワーレは、さすがに声を失った。

「なっ…にやってるんですかちょっとッ!?」
研究室にいた唯一の人間・リヒルトは緩慢にこちらへと目を向けた。
これからゼミなので彼がここにいることはちっともおかしくない。が、抱き抱えるように持って食べている巨大な砂糖の袋が異彩を放っていた。
「あぁ…先生…。」
返ってきた声は明らかに死んでいた。そういえば目も。
「ほっといてください…もうこれしかないんです…。」
「……もしかしなくてもそれ、間食のつもりですか。」
「どう見ても間食でしょう…今月もうお金なくてこれが最後の甘いものなんです…。」
そう言いながら手を袋に入れ、適当な量を掴んで口に運ぶ。おいしい…とじんわり呟く姿にルワーレは鳥肌が立った。
眉目秀麗文武両道、真面目で常識人な彼なのだが、その甘党っぷりだけは頭がおかしいとしか思えなかった。中毒だろうどう見ても。
それでも普段は理性が勝っているのかそう非常識なことはしないが…どうも赤貧のストレスが爆発したらしい。
そう考えると可哀想には思うがしかし、さすがにこれは。
「…リヒルト、さすがにそれはおやめなさい…血糖値はね上がって死にますよ…?」
「甘いものが食べられないなら死んだ方がマシだ…。」
「どこのヤク中ですか貴方っ!ほらもう没収没収っ、身体に悪すぎます!」
口で言ってもラチがあかない。ルワーレは砂糖の袋をひったくるという強硬手段に出た。
…が、実は10kgあったその袋。両手ならまだしも、片手でひったくるには無理があったようで…。
ぐらっ どざ―――っ
…バランスを崩して倒れたルワーレ。もろに中身を浴びてしまった。
「〜〜〜ッげほっ、ごほっ!!うわ、最悪…。」
肩も腕も手入れを欠かさない黒髪も、全てが砂糖で真っ白。頭から浴びたせいで服の中にも相当な量が入った。気持ち悪くてしょうがない。
ずがーんとリヒルトの顔に縦線が入った。
「あぁあああッ、最後のデザートが…ッ!!」
「砂糖の心配ですかッ!?そしてこれデザートとは呼びませんッ!!」
ツっこみは聞こえてないようだ。リヒルトはがっくりと床に崩れてうなだれる。あんまりすごい落ち込みっぷりだったから、思わずなだめようと手を伸ばした…その時だった。
「…あ、でも。」
がし。伸ばした右腕が、掴まれる。
「―――まだ、食べれますよ、ね?」
…え?と固まるルワーレの前で
リヒルトは掴んだその手を、ぺろりと舐めた。
「な…ッ!?」
びくっ、と跳ねた右肩。しかし腕はしっかり捕えられてて逃げられない。その間もリヒルトは何度も何度もその手を舐める。まるで飴を舐める子どものよう。
一箇所では飽き足らないようで、白い指を一本一本口に運んだ。その度這い回る舌の感触が、ぬるい痺れをルワーレに伝えて。
「やめッ…なさい、リヒルト…ッ!」
「…おいし…。」
「おいしくなっ…ッ菓子ならあとで、あげますから…ッ」
「え…でも。」
いつもより光の少ない、一対の金の上目づかい。
「先生…おいしいですよ?」
右腕を離されたかと思えば今度は唐突に抱き寄せられて。ぬいぐるみでも抱きしめるかのような邪気のないそれに、思わず抵抗が遅れた。
しかし、それが命取りだったよう。
手の届いた砂糖がけの首を、リヒルトは遠慮なくぱくついた。
「…ッ!」
意地で、声は押し殺す。今絶対、噛まれた。歯の当たった箇所が焼けるように熱い。
その噛んだところをぺろぺろ無邪気に舐めるものだから、身体も頭も痺れっぱなし。しかも触れているのが愛しい人なのだから、否が応でも顔が熱くなる。今更ながら視界の大半を埋める、茶緑色を意識してしまった。
…蕩けて、しまいそう。
しかしそれは、プライドが許せなかった。崩れかけの意識をかき集めて、けだるい唇を無理矢理開く。
「…も…離れな、さ…、ッ!?」
そこで言葉が止まった。
最大級の電流が、全身を駆け巡ったからである。
「いッ…ッあ!!」
ついに声は抑えられなくなった。ぎうっとつぶられた目には涙が滲む。
リヒルトが口に含んだのは、耳。ルワーレが一番苦手なところだった。
「いやっ、やめっ、やめッ…!!お願いしますそこだけは…ッ!」
「…ん…甘…。」
「だから話をっ…ぁ、あ!いやっちょっ、リヒルト…ッ!!」
身をよじってもよじっても逃げられない。いやいやと首を振ったら歯で掴まれた。それにすらびくっと身体は跳ね、声が漏れる。羞恥で首が真っ赤になった。
いいようにされるのも声を上げさせられるのも、屈辱的でたまらないのに
くちゅくちゅと直に耳を犯す音が、脳内をめちゃくちゃにしてしまう。
「は、ぁッ…も、無理…。」
すでに意識は事切れかけていた。力の抜けきった首が、がくりと落ちる。
それをキャッチしたのはリヒルトの腕。少しは正気に戻ってくれたのだろうか。焦点の定まらない赤い目が、ぼんやりとリヒルトを見上げる。
「りひ、ると…?」
「……。」
じ、と見つめていたリヒルトの顔が突然近づいてきた。
(え、何、何ッ!?)
思わぬ至近距離。唇と唇が触れそうな程。ルワーレが反射的にぎゅっと目をつぶると。

…ぱく。

「――――――ッッ!!!」
…もちろん、そんなロマンティックな展開があるはずもなく。
耳は二つあるということを、ルワーレは思い知らされただけだった。




Junkie Honey


10倍で仕返しされるのは、その1時間後。
fin.