…決めた。明日からはマフラーと手袋装備だ。
まだ10月末なのにそう決意を固めてリヒルトは部室に来た。中ではミズハが一人、珍しく読書にふけっていた。
「おはようミズハ。本読むなんて珍しいな。」
「お久しぶりねリヒルト。」
「ああお久し…」
…絶句したリヒルトは凄い勢いで振り向いた。対するミズハ、と思っていた女性は涼しい顔だ。それを見てようやく理解できた。
「…びっ、くりした…。シズハならシズハだと言ってくれ。」
「既知の人間にいちいち言う訳ないでしょう。お久しぶりリヒルト、相変わらず鈍いようね。」
「…久しぶりシズハ、相変わらず意地が悪いな…。」
ミズハと同色の髪をそっとかきあげて、耳にかけると黒い眼がリヒルトを映した。彼女は御空木静葉。ミズハと瓜二つの一卵性双生児、双子の姉である。
小・中・高はミズハと一緒でリヒルトとも高校で知り合ったが、大学だけは別となった。なので他大生なのだが、ミス研が誰でも入れてしまうのは今更だ。
「お父様は元気か?」
「その鞄に最新著書が入ってるなら元気なんじゃない?」
「…透視はしなくていいから。大体同居してるんだからはぐらかさなくても」
「それで?ミズハは?」
…双子、と言ってもそっくりなのは外見のみで終わる。
妹のミズハはよくも悪くもおっとり、ほわほわと柔らかい性格なのだが姉のシズハは…この通り。リヒルトは肩を落としてため息をついた。悪い奴じゃあ、ないんだけどな。
「知らん…。俺はこの部室に来ないとミズハの行方は知らんぞ。」
「使えないわね。」
「はいはい悪かったな。でもそうだなぁ…普段だったらそろそろ来る頃じゃないか?」
それを合図にしたようにドアが開いた。入ってきたミズハは目を丸くして立ち止まる。
「あれ…しぃ姉!?なんでなんで!?」
するとそれまでまったく動かなかったシズハが、瞬間移動が如くミズハを抱きしめた。
「久しぶりねみぃ、ちゃんとごはん食べてる?お金困ってない?最近寒いけどあったかくしてるでしょうね?」
「し、しぃ姉苦しい、苦しいよう。」
「まったく貴女ときたら目を離すとどんな生活してるやら気になってしょうがないわ。ああもうこんなにほっぺた冷たいじゃない。風邪ひいたらどうするの…。」
「……シズハ、お前やっぱり親父さんよりミズハと同居しておけ。」
慣れてはいるけど一応ツっこんだ。シズハはドのつくシスコンだ。
「愚問ね、ミズハを一人にさせるのも心配だけどお父さんはもっともっともっと心配なのよ。放っておいたらいつ餓死するかわからないじゃない。」
「…餓死でもなんでもいいけどそこどいて、寒いから…ッ」
あら、と言ってシズハは廊下に目をやる。ミズハの後ろではヒカトが寒さに震えていた。
「あら…誰かと思えば。ごきげんよう害虫。」
「会っていきなりそれか性悪クソアマッ!いいからそこどけ!」
「器量の小さい男ね。それに堪え性もない。忍耐力にも欠ける。理性も乏しいし知性もたかが知れる。相変わらずの落第男ね、お久しぶり。さぁミズハ、中に入りましょうか。」
「………ッ」
返す言葉も許さない罵倒弾幕だった。これを表情ひとつ変えずすらすら言い放つのだから怖い。
同じ高校だった彼女はヒカトとも面識がある。それ以来、二人は蛇蝎の如く毛嫌いしあっている。
「ひ、ひさしぶりーしぃ姉…なんで急にこっち来たの?」
戸惑いつつも部室に入ったミズハはちょこんと座った。シズハも勝手に椅子を拝借して座る。
「明日から1週間程お父さんがこっちで講義するから、様子見にね。」
「えっ御空木先生の講義!?」
色めいたリヒルトは次の瞬間うずくまった。シズハがグーで殴ったからだ。
「うるさい。…そういう訳だから、みぃの家にしばらく泊まりたいんだけどいいかしら?」
「い、いいけど…あ、ちょっと待った…。」
「いいえ待たないわ。そのために前日に来たんだから。」
すくっとシズハは立ちあがった。そしてミズハの肩をつかむ。
「…抜き打ち、お部屋査察加えてお掃除タイム。」
「うわちょっしぃ姉それナシそれタンマっ、ああごめん私今日は午後の講義が!」
「ないわよね。確認済みよ。そういう訳だからリヒルト、貴方も来なさい。」
「うわああああああ勘弁してしぃ姉それだけはそれだけはそれだけはッッ!!!」
「お…俺?なんで?」
シズハは小さくため息をつくと、無表情にわずかな呆れを浮かべて言った。
「ゴミ出し要員、に決まってるでしょう。」



「拝啓、お父様お母様…。」
ひゅうーと乾いた風が吹いた。
「先立つ不幸をお許しください…ッ!」
「お、落ち着けミズハ。そうへこむもんでもないだろ…俺の部屋だってあんなもんだぞ?」
欠片もフォローになってないと本人は気付いてない。
そんな二人を放ったままシズハは最後のゴミ袋を外に出した。その傍らにはバケツと雑巾が準備されている。
「リヒルト、それ捨てたらこっちも捨てておいて。ミズハ、雑巾がけするから手伝って。」
「うう…ひどい…しぃ姉ひどいよう…。」
「ひどいもへったくれもないわね、だらしのない貴女が悪いのよ。恥をかく前にこうして片づけておかないと困るわよ?」
「むしろ今!今この瞬間がそう!」
シズハは首を捻った。そこは一卵性、姉にも天然は遺伝している。
「さて、食料がなくなったからちょっと買ってくるわね。」
「あったよ、あったのにしぃ姉が捨てたんだよ…。」
「賞味期限の切れたものは食料って呼ばないの。いいわねみぃ、ちゃんと雑巾がけしといてね。」
そっと額に口づけてシズハは買い出しに行った。ミズハはそれを見送りながらぽりぽりと頬をかく。
…こうも溺愛されてると文句も言えない。
しょうがない、雑巾がけしてこよう。部屋に戻ってテーブルを拭いていたらリヒルトも戻ってきた。
「わ…すごいな。見違えた。」
「……先輩、それなんか切ないです…。」
ささやかな抗議は聞こえなかったようだ。リヒルトは部屋を見渡して感動している。
散らかったものを片づければ、そこは愛らしい家具の並ぶ女の子の部屋だった。
「そういえばミズハの部屋に入ったのって初めてだな。」
棚に並べられたぬいぐるみをまじまじ見つめている。ミズハが触ってもいいですよと言うと、嬉しそうにその一つを抱いた。不思議とよく似合う。
「普段はあの通りなので…人なんて入れられませんよ。」
「まぁでも部屋なんてあんなものじゃないか?」
「女の子としてはアウトなんです…。」
「……そういうものなのか。」
よくわからないががわかったことにしておいた。
「…でも、沖屋はよく来てるよな。」
呟いて、驚く。自分で思った以上に硬い音をしていたからだ。幸いミズハは気付かなかったようで普通に続けた。
「ヒカトは…まぁ、なんかいいかなって。幼馴染ですし。」
「ふぅん…そっか。」
今度はできるかぎり柔らかい音になるよう気をつけた。またさっきみたいな音になっては困る。普通に、普通に。
ぬいるぐみの毛並みに少しだけ、指が食い込む。
ちーん、とキッチンから音が飛んできた。
「あ、できたかなー。」
ミズハがぱたぱたキッチンへ向かった。さっきのはレンジの音らしい。
あちあち、と言いながら彼女が持ってきたのは2つのマグカップだった。何か蒸しパンみたいな黄色いのがつまってる。
「はい先輩、おひとつどうぞ。」
「あ、ありがとう。これなんだ?」
「レンジでできちゃうカップケーキです。よかったぁ、しぃ姉これは捨てないでくれたみたい。」
市販品ですけどすっごいおいしいんですよ。そう言ってミズハはフォークを手渡す。ありがとうと受け取って、リヒルトはふいに動きを止めた。
刃先がまるっこいカエルのついたフォーク。マグカップにはポップなクマの絵柄。カップが置かれているのはおもちゃのように小さなテーブルで、その下にはピンク色の小さなラグ。座布団代わりにちらばるクッションはどれもぬいぐるみみたいだ。
視線があちこちへ泳ぐ。いつのまにか喉元で鳴るアレグロのリズム。じりっと熱と共にヒカトを思い出した。背骨が熱い。
目に入れば入るほどそれは、女の子の空間で
目の前にいるその人は今更ながらどうしようもなく
女の子だなぁ、と。

「そうやって呆けてるとますます馬鹿に見えるわよ。」

がっしゃーんとフォークがテーブルに落ちた。声も出ないまま胸を押さえてうずくまる。そういえばリヒルトが座っていたのは玄関側だった。
「…っだ、からっ、居るなら居るとっ…」
「あ、しぃ姉おかえりー。」
「ただいまみぃ。よかった、ようやく人の住める空間になったわね。」
さりげなくひどいことを吐く。シズハは買ってきたものを手際よく冷蔵庫に入れて戻ってきた。くるりとあたりを見渡す。
「あら、私の分はないのね。」
「え、あ!そうだ忘れてたごめんしぃ姉っ!」
「いいわ。それ貰うから。」
そう言ってシズハはリヒルトのカップを攫った。手つかずのそれをもくもく食べ始める。その途中で、本当によく見ないとわからないくらいわずかに口端をつりあげて、リヒルトにしか聞こえない小声でシズハは呟いた。
「腑抜けの鈍感にみぃの手料理なんて百年早いわね。」
…彼女の言葉は、よくわからないのに図星をつくから困る。



空のジェミニ


(全部こいつのせいで調子が狂うだけ。…だめか、やっぱ。)

fin,