傷だらけの身からどうすればこんな力が出てくるのか。
ルワーレの両肩を抑え込むその腕はいくら暴れても解けない。
少しずつ、少しずつ背後へ押し込まれていく。その後ろの空間には真っ暗な穴があいている。

穴の先にあるのは未来の世界。
まもなく存在ごと消されてしまう世界。

それは 死と何が違うだろう。





『逃がした。…ふん、そんな戯言が許されるとでも思ったか。』
聞こえているのか、腕無し。
雑菌を拒絶する白手袋。それが首を絞める苦しさに溺れながらそんな台詞を耳に入れた。
耳に入ってそれまでだ。すぐにくしゃりと潰されて消えた。
それどころではなかったから。
ルワーレの頭を占める、膨大な恐怖に潰されない言葉などあっただろうか。
『…ッち。』
それはこの男、ダークライの言葉も同じだった。
ダークライはろくた抵抗もない私を放り捨てると、忌々しげに舌打ちをした。
『使えない…どいつもこいつも価値がない。何故私の絵筆から生まれながら絵を壊さんとする?お前だってそうだ、腕無し。』
むせて崩れるルワーレに、ダークライの足が乗る。
そのまま彼はひゅんと絵筆を振った。絵筆はペーパーナイフに姿を変える。反射的に背筋が凍った。ペーパー、なんて言葉は到底似合わない切れ味を、ルワーレは身を持って知っている。
『何故お前が腕無しだと思っている。何故お前を腕無しにしてやったと思っている。忘れているなら今一度思い出させてやろうか。』
ぴた。
光りもしない暗欝な切っ先が、ルワーレの眼前に据えられた。
『腕を"無"くす瞬間、を。』
全身が総毛立った。
ルワーレの抵抗など意に介さず、その言葉は悪夢を見せつける。
たった2本の腕を無くした瞬間に地獄へと切り替わった日々。
全ての理由は無くしたから。無くしたらもうおしまいだ。
そして今、最後に残ったものまで"無"くしてしまう寸前だ。
『…思い出したか、腕無し。お前の"日常"は私が削ぎ落した。』
青白い口の端が歪む。ダークライは唄うように囁いた。
『最後に残った"命"まで、失いたくはないだろう?』

ぱきんとダークライは指を鳴らす。ルワーレの足元に時空ホールが口を開けた。
通り慣れた穴のはずなのに、別物のような禍々しさに思わず怯む。
『女王<ディアルガ>の残った力を全て引き出した。それでも時渡り一回分にしかならん。あの女もそろそろ終いだな。』
事もなげに切り捨てるダークライ。彼にとっては全てが使い捨て。
ルワーレはまだ使える物であるようだ。…まだ。
『腕無し。再び過去へ飛んでこい。そして今度こそ奴らを消せ。』
ずぶり。時空ホールがルワーレを呑み込む。

『わかっているだろうな…これが最後の機会だ。』

最後に残った"命"まで、失いたくはないだろう?




言われずとも、わかっていた。
わかっていたんだ。
失敗すれば、おしまいだ。
ジュプトルとミズゴロウ。彼らに世界を奪われれば、おしまいだ。
失う恐怖はもう嫌だった。
在るものが無くなる恐怖はもう嫌だった。
奪われる前に奪い取る。死守する為に踏みにじる。
何がいけない?先に奪おうとしているのは向こう。

そんな生き方しか私は知らない。
死に方なんて、知りたくもない。

知りたくもないのに、それは私の背後で口を開けていた。

空いた穴に突き落とされる、それは一瞬の出来事。
突き飛ばした細腕の力をどこか空虚に感じながら
瞳孔が凍り、心臓が凍り、呼吸が凍ったこの一瞬を
時空ホールに触れてしまったこの瞬間を
こんなにも忘れられない恐怖さえ
きっと
私は一瞬後に失うのだろう。


終わった。

そんな思考すら、呑み込まれた。











「…何を言う。

物語は幕開けたばかりじゃないか。」


声がした。おかしい、耳なんてもう残ってないだろうに。
ああ、もしかしてまだ辛うじて生きているのかもしれない。
だが、と私は再び意識を沈めた。どうせそれも一瞬だ。もうじき世界と私は終わる。


「そう、君に与えられたのは一瞬の刻。

しかし今この時この場でそれは永遠となる。」


永遠?
鼻で笑う気力はもう無かった。愚かしい、そんなものは無い。


「在るさ。

君に与えられた一瞬の刻、一瞬の眠り。其れが孕む夢は永遠となる。」



「私の力で。」



瞑っていたはずの視界が開けた。
強制的に目が開き、そこに広がるものを見せつけられる。
それは全てが赤い世界だった。
せき止められた夕暮れが錆びたような、流れることのない赤い空。

琥珀に閉じられた虫は朽ちない。其処に在るのは確かに永遠である。そうは思わないかね?

歌うように囁く男。老獪に笑む彼は<ダークライ>と名乗った。
さぁ、


「君の望みはなんだね?」




エンドロールのこう側


(例えそれが蜘蛛の糸でも、)

fin.


****

お題拝借:揺らぎ

ここから悪夢企画に続いてくような感じ。でも悪夢に分類する話ではない気がして。