大きく口を開けた時空ホールに、二人は飛びこんだ。


飛びこんですぐ、眩しくて思わず目を瞑った。
おそるおそる目を開くと、見たこともないような光景が現れる。

それは光で出来たトンネルだった。

幅の広い円柱状のトンネル。その壁一面に敷き詰められた四角いパネルが青く白く光輝いていた。
壁面は生き物のように蠢いていて、光のパネルは常にぐにゃぐにゃ歪む。
その中を落ち続けていく二人。底の見えないトンネルは、いつまでも二人を落下させた。
(…これが時空ホール…。)
ジュプトルが思っていた以上に得体のしれない空間だった。見ているだけで目が回りそうだ。蠢く度に感じる重力も歪み、いつはぐれてもおかしくないほど上下左右に振り回される。
それだけは、避けなければ。
飛びこむ直前に握った手は、まだ繋いだまま保っていた。



『…手?』
飛びこむ間際の、ほんの短いやりとり。
『早く取って。時間が惜しいわ。』
『……まさかお前に手を握れと言われる日が来るなんt』
『早く取りなさい。』
ばきっ、と腹に一発遠慮なく入った。
『物理的に繋ぎとめておく。それ以上の意味は持たないわ。ホールの中で何が起こるかわからないから。』
ミズハはジュプトルを、そして睨みつけてくるレティを心底馬鹿馬鹿しそうにちらりと見た。

『欠けては支障が出る。だから繋いでおく。それだけよ。』



無限に思えるこの空間もいつか終わるだろう。
その先で降り立つのは過去の世界。遥か何千年も過去の時代、記録や伝承だってほとんど残っていないような時代だ。
未知の世界。どのような危険があるか全く予想もつかない世界。その中を駆け巡り、時の歯車を集めきることはできるのか。
ジュプトルは繋いでいる手を、ぐっと握った。

…できるか、じゃない。やるんだ。
何と引き替えてでもこの世界を変えて見せる。
それは俺とミズハに共通した強い強い想い。
二人でどんな局面でも乗り越えるんだ。今までも、そして、これからも。

その時。
眩い光の空間が、明度を下げた。

「!?」
音もなく、じわりと。時空ホールを薄闇が埋め尽くす。黒いフィルターがかかったかのようだ。薄闇はうすら寒く、ジュプトルとミズハの背筋をぞっと粟立てた。
せわしなかった明滅がぐっと遅くなり、ホールの蠢きはのったりと重くなり。
びたり。二人の落下が止まった。

なんだ?

身体が重い。ひどい圧迫感で呼吸が苦しい。冷たい闇が肌から染み込み心臓まで冷やしてしまいそうだ。
一際濃い冷たさを背中に感じ、二人は重い首で振り返る。
振り向くとそこには光が見えない程濃い闇がわだかまっており、そして、何かがいた。

何かは、
目を凝らして見ると、人の形をしていた。

真っ白いであろう髪を闇に溶かし、黒い燕尾服は闇と同化させ、朧に輪郭だけ垣間見えるモノクルの奥から、真っ青な瞳でぎらりとこちらを見て、
口をぽっかりと三日月型に開けて嗤う。
それは人の形をしていた。人ならざる気配と圧倒感を撒き散らす、形だけ人をうっすら模したおぞましい"何か"だった。

冷や汗が伝う。
なんだ、コイツは。

「知る必要はない。」
それはこちらへ手を伸ばし、指先を少し動かした。持っているのは…筆?
「すぐに描き直してやろう。」

筆から絵の具のように闇が溢れ出て、ジュプトル達へと放たれた。
「…!」
すかさず剣を抜きそれを受けたが、身体ごとあっけなく吹っ飛ばされる。
「ッぐあ!!」
「ジュプトル!」
飛びかけたジュプトルをミズハが掴んだ。変動する重力を素早く読み、その力を利用して引きもどす。
助かった、と礼を言うジュプトルの声はかすれていた。なんなんだあいつは。受けた手が麻痺する程痺れている。ここまで強烈な攻撃、受けたことがない。
それをあいつは、指先ひとつでやってのけた。
人影は笑った。虫でも見るような目で笑っていた。
「…あなたは、何?」
「知る必要はないと言ったはずだ。」
ミズハの切り返しさえ一笑に付す。束ねた白い髪がゆったりと揺らめいた。
「絵具は自分が誰に描かれたのかなど知る必要はない。絵具は予定された色を見せればそれでよい。描き手の意に沿わない色ならば消すまでだ。」
「言ってる意味がよくわからないわね。」
「わからなくてよい、と言っていることすらわからんか。しかしこれだけはわからねばならん。青と緑。お前たちは要らぬ色だ。それも私のキャンバスを台無しにしかねない煩わしい色だ。」
ぴく、と二人が同時に身じろいだ。同じ事に思い至ったからだ。剣を構えながら口を開いたのはジュプトル。
「…時の歯車を集められると都合が悪い…そういうことか?」
人影の口端がさらに釣り上がった。
「ようやく理解したか。それでよい。では消えろ。」

ッどん!先程の砲撃が倍になって放たれた。一撃一撃が重く二人を塵のように吹き飛ばしていく。
人影が絵筆を振るだけで雨のように砲撃が溢れた。指先でふらり。ただそれだけの作業で。ジュプトルもミズハも、守りすら取れない程の砲撃の雨。
隙をついて必死に放った『みずのはどう』も『リーフブレード』も、砲撃ひとつ触れただけで砕かれ消えた。
まるで悪夢。まるでふざけた冗談。
そんな悪趣味な軽々しさで、こいつは人間を殺せるのだ。

吹っ飛んだミズハが光の壁に叩きつけられた。
するとその壁にひびが入り、砕けて…空いた穴の向こうの真っ暗な空間へ、ミズハが背中から落ちていく。
「ミズハッッ!!!」
咄嗟にジュプトルはその手を掴んだ。飛びかけたミズハをなんとか繋ぎとめる。
壁に穴があいた瞬間、時空ホールの様子がおかしくなった。ノイズ音がホール全体を満たす。規則正しく明滅してた光が、ばちばち火花をあげて揺らめくようになった。穴の向こうでは激しい風が渦を巻き、ミズハをそちらへ引き込もうとしている。
ホールが崩壊しかけている。ジュプトルもミズハも瞬時に察した。
駄目だ。崩壊する前に過去へ渡らなければ、二度と辿りつくことができない!
「…!」
…もはやここまでか。何か諦めたミズハが振りほどこうとしたその手を、
「!?」
「…離したら、駄目だ。ミズハ。」
ジュプトルはきつく、きつく握り直した。
「何をしているの、一刻も早く…!」
「一刻も早く、こっちに戻れ。そしてホールを抜けきるんだ。」
口調は強くても少女の手。大の男の握力は振りほどけない。
金色の瞳が、強い光でミズハを射抜いた。
「二人で過去へ行こう。俺達であの世界を作り変えよう。」
繋いだ手は離さない。見据えた瞳は逸らさない。
俺達はパートナーだ。同じ絶望と想いを背負った同胞だ。
どちらが欠けてもいけない。二人揃ったからこそここまで来れた。
そして、この先へ行けるんだ。
「…そう決めただろ、ミズハ!!」


そのジュプトルの背後で。
闇が染みだした。
濃い闇が、黒い人影が、三日月に笑み。
先刻まで小さく振るっていた絵筆を
指揮棒のように大きく振りかざし、円を描く。
見開いたミズハの黒目にそれが映る。




どんっ。

ジュプトルを突き飛ばしたその小さな手が、




巨大な黒い塊に弾かれ一瞬で消えた。




「―――――ッッミズハああああああああああああああああああ!!!!!」

穴の底へ落ちていく少女はあっというまに小さくなり。
叫んで手を伸ばしても届かない。繋いでいたあの手に、あの手に届かない!!
その背後で再び円が描かれる。動揺しきったジュプトルは気づくことなく。
再び放たれた砲撃が、ジュプトルの背に触れかけた刹那、

穴が、かっと激しく光を放った。

数秒遅れて猛烈な爆風が、ジュプトルを、そして闇の砲撃をも弾き飛ばした。
「ッぐあ…!!!」
為す術なくジュプトルが吹っ飛んだ。さしもの人影も腕で目を覆う。
人影が腕を降ろしあたりを見回すと。
そこには、無人で壊れかけの時空ホールがあるだけだった。耳を澄ませても誰の気配もしない。

「…今ので時空ホールを抜けきってしまったか…屑絵具が、悪運だけは強いようだな。」
舌うちして絵筆を降ろした。今の爆発は一体なんだ。私の絵具すら弾き飛ばすあの膨大なエネルギーは。
「まぁいい…後は灰色にも処理できよう。」
くるり、人影が踵を返した。


「一匹潰すことは、できたのだからな。」






カタストローフェ



(沈みながら宙を空ぶる、二つの手。)

fin.



***

光と爆発は、人格と肉体が分離する時に発生したエネルギーだとイメージして頂ければ。