「…よォ。うまそうな獲物がうじゃうじゃしてんじゃねーか…。」

霧の濃い、どこかの森だったことは覚えています。
どうしてそんなところで一人迷ってしまったのか。どうして森の野生ポケモン達に襲われることになってしまったのか、それは覚えていません。
はっきり覚えているのは、そこにふらりと現れた男の人。
ざりざりと斧をひきずるその男性が、霧深い森からにじみでるように現れたから、風景をよく覚えているのです。

そしてその直後の目を逸らしたくなる惨劇も。

大きな羽根のような斧が踊るたび、ぐちゃっといういやな音が響きます。
私の擦れた悲鳴など、男の人の高笑いでかき消されてしまいました。
そう、彼はとてもとても笑っていました。
べちゃべちゃに血を浴びながら。楽しくてしょうがないというように。その人は。笑っていました。

私を襲ってきた人達は、あっという間にべちゃべちゃになってしまいました。
逃げたくても、腰が抜けて動けなくて。ざく、と斧が地に着く音でとびあがる程怯えました。
私も こう なってしまうのでしょうか。
逃げなくちゃ。逃げなくちゃ。でも、怖い。怖くて動けない。

しかし。
男の人は私を襲いませんでした。
あれほど滅茶苦茶に暴れていた彼は、ぴたりと、止まっていました。血まみれの地面の真ん中でぼんやりと立っていました。ここからでは横顔しか見えませんが、呆然としたような横顔でした。我に返った、みたいな。
その彼の目が、ふと、こちらに気づいた時。

その目にはっきりと、驚きと怯えが映ったのです。

「…ッ!」
距離が離れていたのに、息を呑んだ音が聞こえた気がしました。焦った視線が泳いでいます。
さっきまでの人とは、まるで別人のようでした。
強そうな人達をあっというまに倒してしまった彼。私など一振りで殺してしまえる、私に怯える必要なんてない彼が、どうしてか私に怯えています。
どうして?
その時なぜでしょうか、さっきまで彼を象徴していた真っ赤な返り血が、なんだかとても痛々しく見えたのです。

「ッその…お前…。」
「は、はいっ!」
「怪我とか…どっか痛めたりとか…してねぇか…?」
「は…はい、どこも痛くないですが…?」

そう答えると、彼はぐったりするほど緊張を解いて、言いました。
「……よかった。」

そして彼は、元来た霧の中へとゆっくり戻って行ったのです。
「あ…!」
待って、と呼ぶ声はきっと小さすぎたのでしょう。彼はまったく振り向きませんでした。


ここまであまりに衝撃的なことがたくさんありすぎて、私のつたない頭には入りきりません。
なにより頭を占めたのは、酷い血まみれの惨劇でも、恐ろしい高笑いでもなくて、

よかったと答えた時の、今にも泣きだしそうな微笑みでした。

あの微笑みを浮かべた時彼は何を考えていたのでしょう。
自分で作った血溜まりを見つめる時、それを見る私に気づいた時、彼は何を考えていたのでしょう。
来る日も来る日も考えても答えはまったく出ず。
戻った私を出迎えた仲間達の声も上の空で、私はずっとそればかり考えておりました。

飽きもせず答えを考え続ける日々の果て。

私はマスターの対戦相手に、彼の姿を見つけてしまったのです。




血染めの子靴


(運命と思えた私を、どうぞお笑いください。)

fin.