剣道場がぴんと、張り詰めた静寂で満たされる。
対峙している二人。片方は下段に、片方は上段に構え互いに見据え合っていた。一足早く踏み込んだのは上段の方。
面、面、胴、小手、面、面、面。風のように速い打突の群れは、常人だったら目で追うのも一苦労だ。だが下段の方は冷静に一つ一つ弾き返していく。
連打の末、最後に強烈に放たれた力強い面。
捉えた、と思った。しかし降りおろした竹刀は残像を斬る。うろたえてしまったその一瞬、ぱぁんと鮮やかな音が上がった。
右の胴に、しっかりと竹刀が打ちこまれていた。

「〜〜〜〜あいったー…やられた。やっぱり敵わないなぁ。」
負けた方が面を外し、ふぅと息をついた。長い茶緑の髪がばさりと零れる。
「また一段と腕上げたんじゃないか?フタギ。」
「当然だろう、僕は剣道部として毎日鍛錬を積んでいるんだから。他サークルにいる君に負けちゃ名折れというものさ、リヒルト。」
フタギ、と呼ばれた方も面を外し息をついた。銀メッシュの入った青い髪がしっとり濡れている。とはいえ、と生真面目な顔で続けた。
「それを差し引いてもやはり君は強いな。自主練とはいえ鍛錬を積んでいるのもよくわかる。なかなか冷や汗をかかされたよ。」
「そうかな?ありがとうなー。と言っても本当にここ数年自主練しかしてないけどなぁ…次の大会って結構大事な試合だろ。俺が助っ人で本当にいいのか?」
「君なら大歓迎さ。うちの部員は皆腕はいいが人数が少ないからな…。ああ、ブランクが不安なら丁度いい。来週スプラウス先輩がいらっしゃる日に来ればいい。」
「え。」
ぞっと背筋が粟立って、凄まじい剣さばきと破壊力で屍にされた思い出が蘇る。
「………す、すまんその日は用事が入っていてな用事が…。」
「そうか、残念だ。」
素直なフタギは言い逃れをあっさり信じてくれた。スプラウス先輩にしごかれるくらいならアイズ先生に指導される方がいい。断然いい。二度とあの地獄を見るのは御免だった。
と、その時。剣道場の引き戸がからからと開く。そこからそぉっとミズハが目をのぞかせた。
「ん?君は誰だ?一応部員以外立ち入りを禁止しているんだが。」
「わっ、そっ、そうなんですか!?ごめんなさいっ!」
「あ、えっとすまんフタギ。俺の後輩なんだ。ミズハ、どうしたんだ?」
呼ばれたミズハはぼっと頬を染めながら、ぱたぱたとリヒルトへ歩み寄った。
「あ、いえあの、先輩が手合わせしてるって聞いたので見に来t…じゃなくてっ!あのこれ、差し入れですどうぞ!」
目を伏せながら勢いよく差し出したそれは、ペットボトルのスポーツドリンクだった。リヒルトの顔がぱぁっとほころぶ。
「いいのか?嬉しいよ、ちょうど喉が渇いていたんだ。ありがとうな。待って後でお金支払うから。」
「いっいえいえ!これは差し入れなのでそのまま受け取ってください!それとあの…先輩もよければいかがですか?」
「え、僕もいいのかい?ありがとうミズハさん。」
フタギはふわりと微笑して受け取り、それから少し申し訳なさそうに苦笑した。
「それはいいのだがミズハさん、さっきも言ったようにここは部員以外立ち入り不可だ。悪いがリヒルトの手合わせの見学はできないよ。」
「今知りました…。うう、ごめんなさい…。」
「気にしないでくれ。次から覚えて貰えると助かるよ。」
わたわたしたミズハを見て、リヒルトがきょとんとした。
「なんだミズハ、手合わせなんて見に来たのか?そんな面白くないと思うけど。」
「えっ、そんなことないです!きっと絶対格好いいですよ!」
「いや格好よくないよ全然、俺負けちゃったしなー。」
「ええええそうなんですか!?」
「まぁな、やっぱり正式な剣道部員と比べるとな。」
あ、でも。と思いだしてリヒルトは顎に手を当てた。
「今度の大会で助っ人として出ることになったんだ。それなら部外者でも見学できるから…よければ来るか?」
それを聞いたミズハは、ぱああああと輝く笑顔になる。
「はいっ!行きます!絶対、絶対応援しに行きますね!」
そのやりとりを見ていたフタギは、というか主にミズハを見ていたフタギは、ぽつりと零した。
「女性らしい方だなぁ…。」
「え?」
「ああいや、ミズハさんは可愛らしい方だなと思って。」
真顔で言ってのけたフタギに、ミズハは首から耳まで沸騰した。
真っ赤でわったわったあわてふためくミズハを、フタギは思案顔のまま見つめている。そして溜息をついた。
「彼女も少しくらいこうであればな…。」
その呟きにミズハもリヒルトもきょとんとする。はっと我に返ったフタギが、慌てて首を振った。外して置いておいた眼鏡をかけ直す。
「い、いや気にしないでくれ。それより手合わせしてくれて感謝するよ。今日のところはこれで終わりだ。」
「そっか。いやいやこちらこそ。また暇が合ったら手合わせしてくれ。」
さてミス研寄って論文読もうかなぁー、と呟いてリヒルトは大きく伸びをした。
「フタギはこの後どうするんだ?」
「ああ、僕は…。」
もう少し練習していこうとか、図書館に寄っていこうとか、近所の本屋に寄りたいとか、いくつかの選択肢が浮かんだが。
それらをぽんと押しのけて、ひとつの選択肢が浮かんできた。
…つい選ばずにはいられないそれを前に、フタギはしかめっつらで赤面した。

「…ちょっと、生協でも寄っていこうかな。」




不器用な物


fin.




***

参考文献:ひかりの剣((