時折ぞっと、寒気がするんだ。


「助けてくれてありがとうございます!」
「いいのいいの、それが私達の仕事ですから!気をつけておうちに帰ってくださいねー。」
助け出した依頼人とミズハとの、ありふれたやりとりだというのに。
誰かと話し、笑顔を振りまく君の背中を見ていると。
嫉妬で胸が焦げるのとも違う。苛立ちが眉間に募るのとも違う。それらよりもっと冷えた感情が背筋を撫ぜた。
崖から落ちかける時のような
心臓と呼吸がひゅっと止まる、そんな寒気。
「助けてくれたお礼です、これどうぞ。」
「わ、きのみたくさん!いいんですか?」
「もちろんです、こんなものしかあげられませんが…。」
お礼を手渡す依頼人と、受け取るミズハ。その手と手が触れそうになった時。
ざわり。背筋が粟立った。依頼人の姿に一瞬被る、ある男の記憶。茶緑のポニーテール。
「…っ!」
咄嗟に手を構え爪を伸ばしそうになった、が
すんでのところで理性が左手を操り、抑え込む。
「…ヒカト?」
びくっと、呼ばれて肩が跳ねた。ミズハが不思議そうにこちらを見ている。
「どうしたの、ヒカト?具合悪い?」
「あ…。」
綺麗な橙の瞳に覗きこまれて、思わず目を逸らした。
「…ん、ちょっとね。ごめん、先に家戻ってるよ。」
「あ、ヒカトっ」
呼ぶ声から逃げるように、僕はギルドを後にした。



気がつくと僕がいたのは海岸に続く道だった。青々とした並木が並ぶ拓かれた道。此処をあと数m歩いたら馴染みの海岸だ。
何かあると海岸へ向かうクセは、未だこびりついているらしい。
…もうあの頃みたいなガキじゃない。僕は無理矢理足を止めた。代わりに苛立ちを拳に込めて、木にぶつける。
「くそっ…。」
まだ、心臓がざわついてる。それを左手で抑え込んで、静まれと祈った。
あんななんでもない一場面で、どうしてここまでぐらついてしまうんだ。
人の役に立てて、心から微笑むミズハ。幸せそうな彼女を見守るのは僕にとっても幸せなんだ。嘘でも偽りでもない。本当に。
なのにどうして。
幸せそうな彼女を前にして、心がざわついてしまうんだ。

「貴様がまだ未熟者だからだろう。」

そこに飛んできた冷徹な声。
そちらを向いたら、別の木にライラが腕を組んでもたれていた。…嫌な奴に見られたな、くそ。
「…ちっ、お前かよ…。こんなところで何してるのさ。お前には関係ないだろ?」
「通りすがるお前が見えたから少し追ったまでだ。それに関係なくはない。」
隊長に関わる事だからな。
そう言ってまっすぐ見据える赤の両目が、まっすぐすぎてつい目を逸らしてしまった。
ライラはラズリーズ隊長であるミズハを敬愛している。邪な想いなく、ひたすらに幸せを願っている。
その目は、
僕の汚さを容赦なく暴き立てる気がした。…だからコイツは、嫌いだ。
「…まさか見てたのかよ、お前。」
「見ていない。だが想像はつく。貴様は大体いつも同じだ、隊長が他者と関わる時はな。」
かつん。鋼で出来たライラの靴が石を踏みしめ、硬い音を立てた。
「…いい加減見苦しい。いつまで隊長に執着する気だ。貴様がしていることは隊長の護衛ではない、エゴによる独占だ。」
「…ッ」
突き立った刃のように、言葉が抜けない。弾き返すこともできない。
黙りこくった僕を、ライラはしばらく見据える。やがて小さく溜息をつくと、横を向いて遠い空を見た。
「……私とて、8年前のあの日を忘れた訳ではない。」
「!」
びくっと、震えてしまった。しまったと悔やんでも遅い。ライラは僕を一瞥だけして、見なかったかのようにまた遠くを見た。
「私だけじゃない。レイも、ジュジュ達も、皆それぞれ深く絶望し悲しんだ。まさか隊長が居なくなるなど思いもしなかったからな。…だが隊長は戻られた。」
「……。」
「再び戻ってきてくれた。そして8年もの間、消えることなく居てくださってる。…それを何故パートナーである貴様が信じられん?」
そう言ってまた静かに、こちらを見据えた。
その目は明らかに僕が抱える恐怖を見抜かれている。ひどく癪で、右拳を握るけれど、何をすることもできない無力な拳だった。
見抜かれているのだろう。
ミズハが消滅する予兆でありきっかけとなった、あの男。
盗賊<ジュプトル>。
誰かがミズハに近づく度に、あの男がミズハに近づいた映像が、重なるのだ。
「隊長はもう子どもではない。」
ライラは一言、そう吐くと
踵を返しながら、もう一言吐いた。
「そして貴様もまた、もう子どもではないはずだ。」


それだけ言うと、ライラはさっさとギルド方向へ戻って行った。迷いない足取りで、かつかつと靴音を響かせて。
「…意味がよく、わからないよ。」
地面に俯きながら僕はやっとのことでそれだけ呟いた。奴が立ち去ってからようやく言葉が出てくるなんてなんという体たらくだ。しかもこんなガキっぽい台詞。
意味がよくわからない。
それは本当にわからないのか、もしくはわかりたくないのか。
「……ミズハ。」
ぽつり、小さく呼んでみた。ミズハ。ミズハ。初めて出会った時から今日に至るまで、毎日呼び続けたこの名前。
同じ三文字同じ響きの変わらない名前。
けれどそれを冠する人は8年の時を経て、変わった。より綺麗に、より、強く。
僕は、
僕は何か変わった、だろうか。

8年経っても僕はまだ、ミズハが明日も居てくれることを信じられない。

(…それって何も変わってないって事じゃないか。)
馬鹿だよな。本当に馬鹿だ。頭ではわかっているのに。
もう誰にもミズハを奪われることなんて、ないんだって。
わかっているのに。わかっているのに。宥めても宥めても不安で泣きだそうとするガキみたいな心。これじゃあ、ライラに嘲笑われたって何も反論できない。


「…あ。いたいた。ヒカトー!」
階段の上から呼ぶ声に、今度こそ心臓が跳ねた。
ばっとそちらを振り向いたら案の定、ミズハがぶんぶん手を振っている。左手にはきのみをたくさん詰め込んだバスケットが抱えられていた。
「よかったー見つかった。具合だいじょうぶ?」
「あ、いやそのっ、うん、大丈夫…。」
「ほんと?それならよかった。あのね、さっきお話終わって依頼人さんがこんなにたくさんきのみをね…あ。」
階段を駆け下りようとしたミズハが、バランスを崩す。バスケットがぽんと跳ねた。
「…!!」
どすーんっ
咄嗟に動いた身体。ミズハの全体重を受け止めた衝撃が、僕の身体に響き渡った。…痛い。
「あいたたたた…。」
「ごっごめんヒカトっ!大丈夫!?」
「大丈夫…それよりミズハは…、」
…あ。と思わず呟いた。
受け止めた。ということは。こっちに倒れかかってきたミズハが今腕の中にいる訳で。
「〜〜〜〜〜〜〜ッッッ!?!?!?」
ばっと腕を離して瞬時に2・3歩後ずさった。うわあ、うわあ、うわああああああ。今更ながら抱きしめた時の温度とか柔らかさとか腕に残ってて頬が燃え上がりそうだ。
当のミズハは頬を染めすらしないまま申し訳なさそうにしていたけど。
「ほんとにほんとにごめんねっ!あーあきのみもとびちっちゃった…潰れてなくてよかったけど。」
よいしょよいしょ、と呟きながらミズハはきのみを集め直す。ささっと砂埃を払ってバスケットに詰め直すと、満足そうに微笑んだ。
「これでよし、と。それでねヒカト、こんなにたくさんきのみもらったのよ!今日はちょっぴり贅沢なご飯が食べれちゃうねっ」
向けられたのは、満面の笑顔。
その笑顔に、8年前のミズハの記憶が被った。
…ああ。心臓がとくんと高鳴る。何年経ってもこの笑顔は変わらない。臆病な僕に勇気と元気をくれるこの笑顔。
彼女の笑顔は今も此処に、僕の目の前に在る。
それはまぎれもない、事実だった。
…一つ、こっそり深呼吸をして僕は言葉を紡ぎだす。肩の力が少しだけ抜けた。
「…そうだね。色んなきのみがあって美味しそうだ。半分は今日の夕飯にして、半分は貯蓄しておこうか。」
「え、半分!?今日のご飯これの半分なの!?」
「当たり前でしょ、ちゃんと探検用のきのみも残しておかなくちゃ。いざって時にないと困っちゃうでしょ?こないだだって。」
「う…そ、そうだけどー…。」
意外と食い意地が張ってるミズハに、思わず僕は噴き出してしまった。
見咎めたミズハがむっとむくれたので、慌てて僕は宥めにかかる。
「昨日作ったソース余ってるから、これの半分はそれでソテーにしようか。」
そう言うと膨れていたミズハが、ぱあああっと笑顔になった。
本当にもう、ころころとよく表情が変わるんだから。
「本当!?わぁーやったぁ!昨日のソースとっても美味しかったんだよ!」
「ほんと?それはよかった。それじゃあ日も暮れてきたしそろそろ家戻ろっか。夕食の支度しないと。」
「うん!今日はライラとレイナも呼んでみんなで食べましょ、みんなで貰ったきのみだもの。」

そして唐突にミズハが、僕の手を取る。
びっくりした僕が固まっていると、またとびきりの笑顔がこちらを向いた。

「それじゃおうち帰ろっか、ヒカト。」

気づけば青い空も赤く暮れていて、遠くをキャモメ達が飛んでいく。ちらちらと海から飛んでくるのはクラブ達が飛ばす泡。
いつも通りの一日の終わりと、
毎日変わらない馴染みの家路と、
当たり前のように隣にいてくれる、大好きな幼馴染。

「…うん。」
ああ今、うまく笑えてるかな、僕。
明日の終わりも明後日の終わりも、こんな風に平和なんだって信じられたら。
「帰ろっか、ミズハ。」

右手に伝わる体温を、いつの日か、信じられたら。





アヤメの道をみしめて


(今はまだ、怖いけれど。)

fin.



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思った以上に暗くない話になってしまったヒカミズ。あまりヒカトが病んでないね((
アヤメの花言葉は「信じる者の幸福」。某ミステリ漫画でよく使われていましたね。