何があった?とは聞けなかった。
過程はさっぱりわからない。でも、今どんな結果がここにあるのか、それだけはありありとわかったから。
「…瑠燕。」
俺よりちっちゃい肩は、小刻みに震えていた。手の置き場に困った俺は、とりあえずその肩を抱きしめる。
「…メイドさん。」
「はい、なんでしょう。」
いつも通りの、落ちついた柔らかな声だった。俺は瑠燕をひょいと抱きかかえると、メイドさんに向き直り、深く頭を下げた。
「…世話になりました。本当に。」
「…いつかまたご縁がありますこと、祈っています。」
寂しそうな微笑に、少しばかり救われる。
メイドさんは最後まで、丁寧に廊下を導いてくれた。



帰りの船に乗る頃には、瑠燕の涙も引いていた。
しかし瑠燕らしからぬ無表情が続き、逆に怖い。かといってかける言葉も見つからない。二人でデッキから海を眺めながら、ただただ無言の時を過ごしていた。
お嬢とうまくいってそう、だったのにな。
あんまりにも突然だ。だって昨日まで満面の笑顔でお嬢のこと話してくれたじゃないか。こんなことならお嬢と一回くらい話しておきたかったな、なんてとんでもない案まで浮かぶ。
玉の輿だのそんなのはどうでもよかった。両親への言い訳も考えてない。二人とも瑠燕のことが大好きだ、察してくれるだろう。
ただ、やりきれなさだけが焦げ付いていた。
こんな出会い方じゃなきゃ。こんな身分差と環境じゃなきゃ。友達付き合いぐらい続けられたんじゃねぇのか、と。
『それは傷をつくり、しかも傷の手当をしないからだ。』
現実逃避な俺の夢想を砕くように、ミサキの声が蘇る。
わかっている。わかっているよ。うまくいかないものはうまくいかない。どんなルートを辿っても、だ。
「トウノ。」
「おうっ!?」
いきなり呼ばれて変な声が出た。瑠燕?今呼んだの瑠燕か?
数時間ぶりに口を聞いた瑠燕は、夜の海に目を向けたままだ。
「僕は、弱い王様なんだって。」
「…そうなのか?」
「うん。ふぬけ、というのは弱いって意味だろう?」
どうやらお嬢の台詞らしい。やっぱり返す言葉が見つからない。
情けなくも俺は頭をかきながら、瑠燕の言葉を待った。
「ホワイトは、格好良かった。強かった。ホワイトはとっても強いお姫様、なんだ。」
ぐ、と瑠燕は手すりを握る。
「だから、弱い王様じゃ駄目だ。」
そこで初めて。
瑠燕は、俺へと振り返った。

「トウノ。僕は強い王様になるよ。」

選ばれた言葉は『なりたい』ではなく、『なるよ』。
幼くてまるっこいその瞳には、俺が思った以上の強さが秘められていた。
「…そうだな。」
俺は、こいつのことを見下げすぎてたかもしれない。
瑠燕へと手を出した。差し伸べるパーではなく、突き合わせるグーを。
「俺も付き合う。強くなってもっかい来ようぜ、イッシュ。」
たどたどしくグーを作る瑠燕はやっぱり涙目だったけど。
強くなろうか、へなちょこアホペンギン。惚れた女を振り向かせるぐらいにな。








げんしのちからで痛手を負ったトリトドンがふらついた。ジバコイルから受けたちょうおんぱも残ってる、これ以上は無茶だ。
「下がれ桃、無茶すんな!」
ボールが放つ赤い光にトリトドンの姿が吸いこまれる。代わりに投げた年季の入ったボールから、煙を纏ってエンペルトが飛びだした。紺のマント、白いブラウスとグレーのズボン、頭に乗っかる金の王冠。このクラシカルな装いの中、抱えたコードレス掃除機が明らかに浮いている。
「行ってこい瑠燕、油断すんなよ。」
「了解だよ、トウノ。」
桃を仕留める予定だったげんしのちからが瑠燕に降り注いだ。へっちゃらそうににこにこしている瑠燕。こうかはいまひとつ。
「今日も手加減はしないぞ、王様だからねっ!」
コードレス掃除機を抱え上げ、大砲のように相手へ向ける。打ち出された『バブルこうせん』は、ぎらりと光るてっぺきの肌をすり抜けた。
相手のトリデプスが膝をついた。
勝負あり。相手トレーナーがうーむと唸りながらボールに戻した。
「しっかり鍛えてきたんだがな。君はそれ以上に一段と鍛えたようだ。」
「ありがとうございます、また会えたら是非勝負してください。…あ、それとこれ。」
「…げ、お守り小判…。」
「すんません…なにぶん金欠でして。」
しょーがないなと言う相手トレーナーに、俺は心底平謝りした。ホント最近金がない。というのもでかく成長した桃がやたらと食うので食費がかかるのだ。毎日しょうぶどころに通うのも修行目的というよりは、金目的だったりする。すんません本当に…。
「あー、マスターが親父狩りしてやがるですよ。」
「おーほんとだなー。いーけないんだー。」
「誰のせいだ桃っ!おいトマ、お前んなこと言うと働いてないんだから飯やらんぞ!」
「え、なにそれマスターずるいですよう新手のSMプレイ?」
「レイニー…。」
言い返す気力も奪われて俺は肩を落とした。まったくうちの連中ときたらどいつもこいつも。相手のトリデプスなんてあんなに礼儀正しいというのにうちの連中はフリーダムすぎる。
溜息をつく俺の後ろで、からんとドアベルが鳴った。
「ふふ、相変わらず君の周りはにぎやかね。こんにちは。」
「! シロナさん!?」
ぎょっとして俺は振り向いた。結構長い間ここに通っているが、シロナさんが訪れたことなど一度もない。
「こ、こんにちはシロナさん…お久しぶりです。」
「お久しぶり。君の顔見ると戦いたくなっちゃうな。一戦どう?」
「いっいやちょっと待っ、ポケセン行かせて!!」
こんなぼろぼろ状態でシロナさんと戦えるか。焦りが伝わったのだろう、シロナさんはくすくす笑った。
「冗談よ、今日は遊びにきただけ。久々にこっちの空気を吸いたくなってね。」
「はぁ、どこか行ってたんですか?」
「えぇ、ちょっとイッシュに。」
「…イッシュう?!」
思わず俺は声を上げる。隣で瑠燕も目を丸くしていた。逆にシロナさんがぱちくりしている。
「あら、イッシュ知ってるの?」
「え、あ、その、まぁ…。」
「ふぅん、そうなんだ。面白いところよね、あそこ。」
ああ、そういえば。そう置いてシロナさんはふわりと笑った。
「君とよく似た目をした人と戦って、負けちゃったわ。人ではないけど。」
「人じゃない…?」
「ええ。六人組を統率するポケモンの女の子。」

「とても強い、ジャローダの女の子よ。」

「…!」
ジャローダ。それは『ツタージャ』の最終進化系だと、俺も瑠燕も本で知っていた。
隣にいる、ポッチャマからエンペルトへ進化した瑠燕を見遣る。間違いない、気がする。
「なぁシロナ。」
唐突に瑠燕が口をきいた。
「格好良かったか?」
「え?」
「そのジャローダ。格好良かったかな?」
シロナはまたぱちくりすると、心底楽しそうに笑った。
「ええ、とっても!あんなに格好良くて素敵な女性は初めてよ。」
それを見た瑠燕も、嬉しそうに笑う。そっか、そっかと何度も呟いて。
そして瑠燕は俺の服を引っ張り始めた。
「トウノトウノ!修行するぞ!次はあの人だ!」
「うえっちょっと待てってあれジュンだろ!一回ポケセン行くぞ!」
「それならすぐに行くぞ、すぐに行って戻って修行だ!」
「はいはいわかった、わかったっての…。」
しょうぶどころのドアをでると、寒風が吹いた髪を揺らした。昨日より少し柔らかい。もうすぐ雪も溶けるころか。ポケセンに下がる氷柱もだんだん短くなってきた。
今は、イッシュに渡る民間船はない。イッシュは通信形態も特殊化し、なかなか連絡も取りづらくなってしまった。ミサキへのメアドも通じないまま数年が経った。
けどいつか。船が通り、通信が取れる日が来るかもしれないから。

「いつか行こう、な。」
「うむ、その時はホワイトと勝負さ!」

その日のために、強くなろう。






fin.